生まれる                   目次に戻る

「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」(池田澄子)
 この世に生まれる前に誰かとじゃんけんをして負けたので、一番はかない生き物として生まれて来ました、と言い訳しているような句です。お釈迦様が「人生にはどうすることもできない四つの苦しみがある(生老病死)」と説かれたその一つが「生まれる」ことでした。誰でも、「気が付いたら○年○月○日どこそこで生まれていた」のであり、その境遇は自分で選べません。これが全ての運命の始まりなのでした。
 カルテの表紙には、患者さんのお名前や住所、生年月日、保険証の番号などが書かれていますが、2ページ目には、生まれたときの状況や、生まれつきの異常、家族の病気などが書かれています。ご本人はもちろん、周囲の方もどうすることもできない内容です。
 第一に、自分の体を選ぶことができません。 「生き物は不完全なもの」と言われます。古い蜂の巣を割面にして見ると、生み付けられた卵のうち蜜蜂に羽化できたのは83%ぐらいであり、全ての卵が育つ訳ではないそうです。また、せっかく生まれたのに遺伝子の影響を強く受ける人があります。生きていくための競争には不利なこともありますし、逆にその独特の能力を生かせる人もあります。
 第二に、社会的境遇(人種、父母兄弟姉妹、性別)を選ぶことだってできません。世界史を見れば、「じゃんけんで勝って白人に生まれたの」、「じゃんけんで負けてアフリカに生まれたの」と言えます。アメリカ合衆国ニューヨーク市パークアベニュー15番街には世界の大富豪たちが住んでいて、世界中の財産を握っています。アフリカなどでは貧困のため、生まれて来ても5才までしか生きられない子供たちがたくさんいます。こんな不公平な世界を、人間はまだどうすることもできずにいるのです。
 しかし、逆境を嘆いてばかりは居られません。平成24年のベストセラーの中に、「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子・著)という本があります。そこには、
「生まれた境遇を選ぶことはできない。しかし、そこにしっかり根を張ってこそ、良い人生が築けるのです」という内容が書かれていて、こころが洗われるようです。
 人はそれぞれの逆境の中におられますが、それを受け入れ、土台としてこそ実りある人生を自分のものとして選ぶことができるのでしょう。

     八戸市の月刊誌「うみねこ」2013年11月 579号 掲載


 目次に戻る








  

                                                        setstats

1