死後の世界                    目次に戻る

 ある病院に勤務していた時のことです。
 その患者さんは五十代の独身の女性でした。胃ガンが全身に転移して末期の状態でした。彼女の病室を回診するのは辛いことでした。病状について良いニュースは何もないのでした。
 ある日訪室した時に彼女は消え入るような声でつぶやきました。
「先生、私こんなに苦しんだのに未だ死ねないんですか?死んだらどうなるんですか?」
 返す言葉がありませんでした。その時まで医学的な説明には努めていても、彼女の心の問いには答えていませんでした。医師は医学部や卒後研修で死後のことは学びません。医師同士で死について語ることもありません。この方の病室回診では、医師としての能力ではなく、一人の人間としての姿勢を問われているのでした。

 私が子供だった頃、
「○○さんが急にあっちへ往ったそうだ」
と大人の人たちが話しているのを耳にすることがありました。
その度に私は、
「死んだらどうなるの?」
と、大人の人たちに聞くと、
「子供はそういうことを考え無くても良い」
と叱るように返事をして黙っているのでした。

「大人は皆ちゃんと死後のことを知っているのだ。あの世のことや、そこへの行き方を。でもお互いに知らんぷりして、子供には秘密にしている。それが大人という事なのだ」
私はそう思っていました。
 私もやがて大人になりましたが、まだその答を知りません。孔子だってお釈迦様だって死後のことは語っていないのです。

 死後の世界を語るのは宗教者の仕事です。欧米では信仰を持つことが社会人としての条件ですが、日本では逆に特定の宗教から一定の距離を保っていることが条件でしょう。医療の現場においても特定の宗教を持ち込むことは避けるべきですので、死を語ることもタブーになってしまいます。
 もし、患者さんが何かの宗教を通じて来世を信じておられ、最期を迎える病床におられるなら、その橋渡しをするためにその宗教を尊重することは必要と思います。

 科学者であり、キリスト教徒であるパスカルは、「パンセ」の中で、信仰を持たない者の悲惨な姿について述べていますが、今のところ信仰を持たない私などは、死の恐怖から逃げ回りながら、恰好の悪い最期を迎えるのかも知れません。

     八戸市の月刊誌「うみねこ」2013年 2月 570号 掲載


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