生老病死
ある町立病院に勤務していた頃のことです。
ある夜一人で当直をしていると、深夜に電話が鳴りました。老女が包丁で首を切って連れて来られたと言うのです。暗い廊下を走って急患室へ入ると、警官に連れられた老女が、首に何枚ものタオルを巻いて、うずくまって泣いているのでした。
老女が切れぎれに言う事には、
「自分は息子との二人暮らしであり、病弱な自分が居るせいで、どれ程か息子に厄介を掛けていることか、お陰で嫁も貰えずに、自分は早く死んだ方が良いのだ」
そう言って泣いているのでした。
事情を察した警官は、自分は巡回がありますのでと言って早々に席をはずしました。
首を見せて貰うと、立った姿勢で下顎と喉仏の間を水平に包丁で引いたようでした。横一直線に長い鈍縁の切創が見えました。幸い血管や臓器には及ばず、皮下組織から血液が滲(にじ)み出ているのでした。とにかく縫合しなければなりません。当直の看護師一人の介助を得て、丁寧に丁寧に縫合針を進めました。
程なくして、老女の一人息子が連絡を聞いて駆け着け、急患室のドアを押し開けました。横臥する母の惨状に瞠目すると、
「何てことをしたんだ!」
と叫んで近づいて来ます。
私は手が離せず、
「息子さんですか!ちょっと待って下さい、すぐに終わりますからね!」
と制して座らせました。
でもやはり時間が掛かるのです。その場の四人がそれぞれの気持で沈黙したまま、カチャカチャと器具の音だけがします。
気詰まりな複雑な時間が流れ、小一時間もして縫合が終了する頃には、老母も息子も何も言葉にできず黙っていました。老母は、恐る恐る起き上がり、しゃがんだ息子の背に乗ると、顔を伏せました。息子は内服薬の袋をポケットに押し込むと、背中の母を後ろ手に支えながら黙礼し、急患室を出て、未明の暗闇の中へ帰って行きました。
「息子の厄介になるのは忍びない」という老母の思いは、自分を消そうとしたほど大変なものでした。老母を背負った息子は、その体の軽さに驚きながらも、老母の気持ちと老母の取った行動の重さに痛み入ったことでしょう。古来から繰り返されて来た思いではあります。仏教で教える生老病死の四つの苦しみは生きる者の定めなのでしょうが、やはりやるせないものです。
八戸市の月刊誌「うみねこ」2012年11月 567号 掲載