断・捨・離の果て
K先生は、主治医として、一人息子として、父と母を相次いで看取った。医療過疎の町で、無床診療所の仕事に追われつつ、老健施設に往診しながらの看取だった。十分に意を尽くせぬまま引導を渡してしまい、許されない気持ちが残ったのだ。「自分の診療所が楽になったら親孝行しよう」と思っていたのに、それも叶わなかった。「親孝行、したい時に親はなし」と、聞いた話の通りになってしまったのだ。
K先生は、二つの葬儀に続いて、相続問題をはじめ諸々の後片付けに多忙の日々を過ごした。それで、次に自分の順番が来たら、妻や娘にこんな面倒は掛けまいと、早めの「終活」を思い立ったのだ。
先ずは自分の身辺整理からと思い、「断・捨・離」本を買い求めた。「断・捨・離」とは、「(煩悩を)断つ、(煩悩を)捨てる、(煩悩から)離れる」の漢字だけを拾って縮めたものだ。「断・捨・離」を進めることで「我執」から去って悟りへ至る、というヨーガの根本原理を表す言葉だ。これを進めれば、日常の束縛から解き放たれて、自由な、より良い境地に入れる。つまり、自分の「来し方」を整理すれば、「行く末」の展望が開けるというのだ。彼は、「一句出来た!」と膝を叩いた。「断・捨・離の 自分も捨てて 悟りかな!」これは我が意を得たりと破顔であったのだ。
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しかし、この「断・捨・離」は、K先生に自由をもたらすと同時に、大きな覚悟を要求するものだった。彼は、愛蔵の書物を惜しみ惜しみ古本屋へ渡し、家族の写真を選別し、古い手紙を捨て、若い頃からの日記帳30余冊をシュレッダーに掛け始めたら、次第に胸が苦しくなって来て、最後には断腸の思いだったのだ。性急な「断・捨・離」を進め、日常を埋めていた茶飯事を取り去ると、急転直下、心中を言いようのない不穏感が走った。「・・・私は今まで何をして来たんだ?これから何をすべきなんだ?そもそも一体、私は何者なんだ?」等々、根源的な自問が次々と湧いて来るのだ。彼は、医学生の頃から医学だけの日々を過ごして来たので、今更そんな自問に答える術(すべ)を持ち合わせていなかった。たとえ「グレイ解剖学」や「ハリソン内科学」を開いても、そんな答えは載っていないのだ。
小説世界なら、カフカ「変身」では、主人公が、「家族からも誰からも望まれていない」という思いに落ちたある朝、目覚めたら「巨大な毒虫」に変身していたのだった。K先生は、恐る恐る「自分とは?」と自問するにつれ、自分が何か為体の知れない魑魅魍魎のような気がして来た。「何も分からないまま、もうこの世を去る時が来たのか」と絶望的な気分だ。「父と母の次は当然もうじきお前の番だ」と、「死」という底なしの巨大な空洞が足下に大口を開けている。思わず勇み足をしたら、足を滑らせて地獄の底に落ちて行きそうなのだ!
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ある晩のこと、K先生は、相続税の納期が迫り、書斎に籠もって提出書類の見直しに追われていた。書斎には、ガラスケースに納められた「連獅子」の置物が飾ってある。「連獅子」とは、能の演目である「石橋」の舞台で、文殊菩薩の霊験として出現する白い獅子と赤い獅子のことを言うのだ。その二頭が連れ立って舞う姿は吉兆をもたらすものとして慶ばれ、その姿をミニチュアにした置物は贈り物によく使われる。ここにある「連獅子」は、父と母が祝言の席で仲人夫妻から贈られたものだ。K先生は、それを形見としてご自身の書斎に飾って置いたのだ。
さて、連日の夜更かしに疲れ果てたK先生は、書類の手を休め、その「連獅子」をぼんやり眺めるうちに居眠りを始め、夢の中へ落ちて行った。夢の中は、能「石橋」の物語世界であり、本来の主人公(寂昭法師)に代わって、これからK先生が「K法師」と名乗って主役を演じるところだ。夢の中のK先生は、ご自身の無床診療所を閉院し、収入を失った無一文の輩であり、肩書きも所在も失い、「家族からも誰からも望まれていない」修行者であり、「これから自分はどう生きて行けば良いのだろう?」と思案に暮れ、その答えを得ようと求道の旅をしている、そんな設定になっていた。
K法師は、ヨーガ発祥の地から大乗仏教の伝道路を辿って唐の国へ入り、峨々たる山々の連なりを越えながら、今まさに(山西省)清涼山山中の「石橋」に差しかかった所であった・・・(笛、太鼓が鳴って、K法師が能舞台に進み出た)
【K法師】我はK法師。仏跡を拝む旅を続けこの地に至った。我が進む道を案じながらの山路で日は暮れた。今、黄昏の中、樵の歌や牧童の笛が耳に心地よく、草木が香しい。出来ることなら、このような夕暮れをいつまでも楽しみたいものだ。人は様々の業を背負いて世の中を渡り行くが、目の前を移りゆく物事(黄昏、歌、笛、香り)に捕らわれて業を忘れ、日々の明け暮れを過ごしているのだ。それは愚かなことか?
余りの山峡ゆえに雲は道を隠し、「いま来た道」も知れず、「これから行く道」も知れず、まこと仙境に迷い込んだ心地だ。「仙境に半日いたはずが、実は人生の大半が過ぎていた」という故事が、今自分に起きているようだ。
おお!あれに見ゆるは、かの名高き石橋のようだ。ついに辿り着いたか!誰かに尋ねて早速にこの橋を渡ろうぞ。おや?そこの山の人よ、この橋はあの名高き石橋か?
【樵の少年】はい。これこそが清涼山の石橋です。石橋の向こうが文殊菩薩がお住まいの浄土です。よく拝みなさいませ。
【K法師】本当か!ならば、この身命を仏の御心に任せ、早速にこの橋を渡ろうぞ!
【樵の少年】お待ち下さい!昔から、この橋を渡ろうと、何と大勢の高名なお坊様方が、難行苦行を重ねながら、人生の大半をこの土地で過ごしたことでしょう!あなたは、ご自分の法力のみで渡ろうとなさる。何と危ないお方だ!
そもそもこの石橋は、天地開闢の時よりあって、天空より降りて虚空に浮かび、峨々と聳え立つ巌の上に架かり、虹のような形です。この橋を渡って神々が国土へ来られたので「天の浮橋」と呼ぶのです。幅は一尺に満たず、苔むして滑り、橋の下の谷底は何千丈を超える深さに及びます。谷底はもしや地獄とも知れず、足は震えてすくみ、恐ろしさに肝を潰すほどで、自ら進んで渡る者もおりません。生半可な修行では渡ることなど思いもよらず、神仏の力を得なければ、誰もこの橋を渡ることは叶わないのです。石橋の向こうは文殊菩薩の浄土で、牡丹の花と香りに満ち溢れ、雲間より妙なる楽の音が流れているのです。ここで暫くお待ちください。あなたは霊験あらたかな出来事に出会うでしょう。菩薩様が来られるのはもうすぐです・・・
(文殊菩薩の霊験が現れた。すなわち、能舞台の上に白い獅子と赤い獅子が登場した。これらの獅子は文殊菩薩の乗り物であり使者なのだ。舞台が、序、破、急と動きを速めると、打てよ囃せよと笛、太鼓が打たれる中、二頭の獅子は、牡丹の花に戯れながら、頭を振ったり、台に飛び乗ったり、躍動的な豪華絢爛な舞を続ける。千秋楽、萬歳楽と舞い納め、やがて白い獅子が白髪三千丈のたてがみを、赤い獅子が赤髪三千丈のたてがみを、それぞれグルリグルリと回し始めた)
【K法師】(あ然と見とれながら) ああ目が、目が回る!
(その時だ、誰かの声がした・・・
白い獅子が、声にならない声で言っている)
「・・・お前は精神的に丈夫でないのだ。性急な断・捨・離は危険だ。父と母が、お前に、医療過疎の町の医師になれよと期待を掛けたがために、お前という魂は『K医師』の姿になったのだ。それがお前を混乱させているのだろう。お前は今、期待の束縛から放たれて自由となり、自分の姿を見失ったのだ。自分で再び自分の姿を取り戻し、決して「巨大な毒虫」とならぬよう努めなさい。石橋を訪ねる旅を終えたなら、故郷に帰って、医業を続けなさい。それがお前にとって『石橋を渡る』ことなのだ。それが親孝行だと思いなさい。後悔のないようにな・・・」
(赤い獅子が、声にならない声で言っている)
「・・・あなたのお陰で石橋のこちらへ来れましたよ。あなたは無理して来なくても、菩薩様が紫雲に乗ってお迎えに行かれる時まで、ゆっくりなさい・・・」
(K法師は思わず叫んでいる)
【K法師】ああ!私はどうして気付かなかったのか!白い獅子も赤い獅子も「縫いぐるみ」だ!白い獅子の中には父が入っているのでは?赤い獅子の中には母が入っているのでは?そうでしょう、父さん!母さん!
(そう叫んで、思わず石橋に向かって勇み足を踏み出したK法師は、数歩あゆむ間もなく足を滑らせて、地獄の谷底へ真っ逆さまに転落して行った)
【K法師】「ああーー・・・」
(谷間に絶叫が響き渡った・・・)
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K先生は椅子から滑り落ちて夢から醒めた。二頭の「連獅子」はガラスケースの中にいて、たてがみを垂れ虚空を見つめたまま静止している。
K先生は醒めやらぬ頭で考えた。自分は、夢の中で父と母から許しを得ようとしたのだ。不本意な看取りをした自分の心を慰めようとして、カタルシスの夢を見たのだ。多分、自分に限らず、人は幾度となくカタルシスを必要とするものなのだ。
次第に眠気が去ると、ふと、「そういえば、今日診たあの患者さん今頃大丈夫かな?」とか、「そろそろレントゲン装置の耐用年数が過ぎる」とか、そんな日常の事に拘泥し始めた。薄氷を踏む思いで毎日を暮らしているのに、そんな日常性の中へ埋没すると、「自分の存在の意味や目的や死」といった根源的な問いを忘れて、平穏でいられるのだ。
K先生は、かつて木曽路を旅した頃から、「千曲川旅情」の一節が口癖になっている。毎日の診察をほうほうの体で終えると、職員を帰し、一人で戸締まりをしながら、つい口ずさんでしまう。
「小諸なる古城のほとり・・・、昨日またかくてありけり、今日もまたかくてありなむ、 この命なにをあくせく、明日をのみ思いわづらふ、・・・」
またある時は、「そこそこに働いて人生楽しむ人の方が勝ちですよ」(赤川次郎「泥棒物語」)そんな文庫本中にあった一言隻句が脳裏を去来する。
K先生は、老人の性急な「終活」を程々にして、久し振りに南の島へ旅に出たいものだと思うのだった。
(能楽ポータルサイトthe.noh.comを参考にさせて頂きました)
青森県医師会報 令和 1年 7月 674号掲載