新しきもの無し                  目次に戻る


 W大学通りに面する「K内科醫院」の待合室は今日ものどかだ。馴染みの患者さんがそこそこに訪れ、いつもの薬を貰ってゆく。診察室の壁には古時計と煤けた鏡が架かり、隣に貼った「人体解剖圖」はすっかり色褪せている。診察机の本棚には、まるで「ターヘルアナトミア(解体新書)」みたいな古い医学書が置かれ、それに混じってギリシャ哲学、聖書、仏教の経典から、不条理の作家カミュや実存主義の作家カフカの小説、ニーチェ「ツァラトゥストラ」までもが雑多に並んでいる。
 K先生は、そんな書物を乱読しながらも、ギリシアの書物にこんな言葉があることを忘れなかった。それは「日の照る所に新しきもの無し」というものだ。つまり、「人の知能には限界があって、既にギリシアの昔に、人間の考え得るものは全て出尽くしている」という意味なのだ。そんな言葉を楯に取ってか、K先生の診察室は千年一日の如く変化がなかったし、そのことは彼の脳の知的活動においても同様だった。彼には「世界史の21世紀の今ここに生きている」という自覚がなかったのだ。
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 K先生は、大学院生の頃、脳神経細胞の生理学を専攻した。本来、人間の脳は、500億個の神経細胞の塊であり、それらの神経細胞同士は突起を出し合って結合し、電気信号を伝え合う回路を形成して活動している。K先生は、動物実験で、「結合部位の数が多い神経細胞ほどその活動が活発だ」という予想通りの結果を導いた。彼は、「神経細胞を増やし結合部位を増やせば、頭が良くなるのだ」と結論し、これを学位論文にまとめて博士号を取得したのだった。
 やがて、K先生が基礎研究から離れ、開業医生活も引退に近いこの頃になって、巷ではAI(人工知能)が話題になっている。A I が将棋やチェスの対局で名人に勝ったとか、AIが人間脳に追い着いたとか追い越したとか、A I に病気を診断させれば医師より卓越しているとか、A I が人間の仕事を奪い大量の失業者が出るのだ等々、そういう話題で一杯なのだ。
 確かに近年、メガデータの処理技術が進歩したことで、人間の脳の神経回路をコンピュータでシミュレートし、脳の機能を人工的に実現しようとする技術が急速に進歩している。
やがて、神経細胞同士の結合部位の数において、人間の脳を追い越したAIが登場する見通しだという。それは西暦2045年頃であり、その時には、「これまでの人知では考えも及ばぬ、大変なことが起きるかも知れない」、そう言われ始めたのだ(2045年問題)。現に向かいのスーパーでは既にAIロボットの「ペッパー君」が買い物客に上手に応対しているのだ。
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 K先生は、昼食を済ませると、診察室の片隅のソファーでいつもの午睡を始めたが、今日は寝心地が悪くて奇妙な夢に落ちて行った。
 夢の中でK先生は、中世ヨーロッパの古城みたいな診察室に居た。窓外の夜空に不吉な満月が架かり、コウモリが飛び交っている。K先生は、近未来の医師であり、医学以外の諸学にも通じ、取り分け錬金術においてはファウスト博士をも凌駕する大学者だ、という設定だった。
 K先生は自分の診察机の本棚から一冊の本を取り出した。それは封印された門外不出の秘伝の書であって、表紙には長い著書名が見える。「黄泉の国からもたらされ、神に選ばれし錬金術師によって書き残され、たった一度だけ成功し、後にも先にも誰も成功したことのない人工知能の作り方」とある。それは、アミロイドβ蛋白を除去して神経細胞の脱落を防ぎ、神経細胞の分裂を促進し、更に神経同士の接合部位を増加させるという優れた秘薬であった。これを使えば、脳はAIに勝るというのだ。
 K先生が試験管やレトルトを振り回し何か添加したり加熱したりするうちに、その秘薬が遂に出来上がってしまった。彼は、自身の体を用いた治験の段階に入った。つまり新薬を全て一気に飲み干したのだ。すると、K先生の頭脳の中で脳神経細胞が増加し神経回路の形成が加速し、見る見るうちに大脳が膨張を始めた。彼の大脳は、歴代のA Iである「パーセプトロン」も「ディープブルー」も「ワトソン」も「ペッパー」も次々と追い越して行った。
 やがて、彼は自分でも良く理解出来ない不思議な思考を開始したことを感じ始めた。どうも、人類誕生の頃からの懸案であった諸々の大問題に答えが出せそうなのだ。唯心論と唯物論、有神論と無神論、資本主義と社会主義、時間と空間、人間に自由意志はあるのか?等々だ。ゲーテが「種を全うする者は種を超える」と言ったように、K先生は人間を超えてニーチェ「ツァラトゥストラ」の超人みたいになるのかも知れない?!カミュの不条理な世界や、カフカの実存主義的立場を見事に統合して説明できる神みたいになるかも知れない?!彼は遂に、神は存在するか?、宇宙の果てはあるか?等々、希有にして壮大なる究極の答えを将に得ようとしていた!
 しかし、そうした頃に、K先生の頭脳は支離滅裂となり始めていた。彼は、秘薬が新たに生み出した、未開にして壮大なる迷宮の深淵に沈潜して行った。つまり、彼の頭脳は、従来の人間脳が持っていた懊悩や猜疑心やらの知的迷宮が、今までと比較にならないほど奥行きと深さを増して、「存在の不安」だの、「死の恐怖」だのは激烈なものと成って行った。彼は仏教者であり、その108つの煩悩は更に新手の煩悩を次々と加えたため、悟りは遙か彼方へ遠退いた。彼がキリスト者なら、その原罪意識は強度となり、果てしない迷宮ゆえに神の恩寵を見いだせぬ苦しみは耐えがたいものとなった。
 今まさに壁に掛かった古時計の長針が西暦2045年に届こうとしている。煤けた鏡に映るK先生はまるで巨大な頭でっかちの火星人みたいだ!頭がむずむずして、頭蓋内圧が亢進して、ああ!頭が破裂しそうだ!
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 K先生は目覚めた。看護師さんがソファーの枕を換えたせいで、首を寝違えたのだ。そんな浮腫(むく)んだような頭で考えた。
 確か、ロシアには、「豚が100匹集まっても牛に成れない」という諺があるそうだ。つまり、「豚(神経回路)が500億個以上集まっても牛(人間を超えた存在)に成れない」のか。神経細胞が互いに接続し合って発生する知能には自ずと質的な限界があって、人間の脳が誕生した頃に、既に全ての知能が出尽くしているのか。「神経回路の織り成す所に新しきもの無し」ということなのか?そんなA I にも、知能の他に感情や意識(知・情・意)は、「真・美・善」は、「幸・不幸」は、あるのだろうか?そんなA I たちと我々は仲良くなれるのだろうか?
 中国の古代の皇帝は、頭脳を良くするために、サプリメントのように、幼い猿の脳塊を食べたという。彼らは、そんな頭脳でどんな未来を夢見たのだろう。現在の知見では、人間は自分の脳を未だその一部しか使えていないという。我々はこのままの頭脳で、もっと素晴らしくも成れるし、もっと悪魔にも成れるのだ・・・

 K先生は背伸びを一つして、そよ風の中、いつもの午後の訪問診察へ出かけた。

                 青森県医師会報 平成31年 3月 670号 掲載

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