ある人生劇場
Kさんはずっと演劇畑を歩いて来た人だ。小学校の学芸会では「走れメロス」の主役だったし、中学演劇コンクールでは安部公房の前衛作に挑戦したこともある。そして決定的な出会いがやって来たのだ。Kさんは家族で帝国劇場のミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観劇した。この物語は、帝政ロシアの寒村で健気(けなげ)に暮らすユダヤ人家族らが、迫害を受けながらも家族愛を保ちつつ、安住の地を求めて、住み慣れた集落を追われていく、そんな内容であった。森繁久弥が、頑迷固陋な父テヴィエを見事に演じて、はまり役だ。その最終場面ではキャストも観客も、涙々の感動で、満場の拍手が鳴り止まず、カーテンコールが続いた。Kさんは、この感動を皆に伝えたい、これを一生の仕事にするのだと心に決めたのだった。
Kさんは高校生の頃には、尾崎士郎の「人生劇場」に出会い、読み耽った。生々流転の旅を続ける主人公・青成瓢吉に、自分の将来を重ねると胸が躍った。Kさんは躊躇うことなくW大学文学部演劇科へ進んだ。そこの演劇博物館を根城にして、仲間と熱い議論を交わしたものだ。やがて「W小劇場」に出入りするようになり、何時かは自作自演の「人生劇場」を舞台に掛けてみたいものだと、夢を抱き始めたのだ。そのための脚本らしきものも書いていた。そこでの彼は、あたかも神のような特等席に座り、主役と端役を舞台に登場させると、マリオネットを操るように作劇に夢中になった。これで感動的な人生を描けるのだと意気込んだ。
Kさんは本命の劇団に応募すると、見事、念願の研修生として採用された。いよいよ劇団員としての現実がスタートしたのだった。その劇団では、主宰する演出家が神のように絶対的であり、Kさんには寸分も自由がなかった。それでも彼は、脚本を渡されると、普段と違う人生を生きることができるのだ。彼は意気揚々としていた。
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さて、今晩の地方公演は大仕掛けの多い舞台で、スタッフは大忙しだった。その甲斐あってか、舞台は大成功となり、満場の拍手が鳴り止まず、カーテンコールが続いた。
舞台が引けた後の宿は、ビジネス・ホテルのシングル・ルームが割り当てられていた。Kさんは、取り分けこの一週間は殆ど寝ていなかったし、舞台の疲れは極限に達していた。彼は、部屋へ着くなり、汗まみれの衣類を脱ぎ捨ててバスルームへ飛び込むと、バスタブにお湯を満たしながら体を横たえた。壁に掛かったシャワーを全開にして顔に当て、両手で顔をブルブルっと洗うと、そのまま気を失ったかのように眠りに落ちていった。しかし興奮醒めやらぬ頭はすぐに大変な夢を見始めた。
その夢の中で、Kさんは、ニューヨーク市セントラルパークの、夜の帳が落ちた野外ステージの舞台に立っていた。松明に照らし出された舞台は「ギリシア悲劇」の配置になっていて、背景にはストーリー展開を語るコロノスの合唱隊が立ち並んでいる。彼らは、なぜか日本語で、「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり、一度生をうけ滅せぬ者のあるべきか〜」と、人間の命の儚さを厳かに詠唱している。Kさんは、これは願ってもない大舞台だ!本能寺の織田信長よろしく、この主役を大見得切って演じてやろうと身構えた。もう全く「ごった煮」の夢なのだ。
ところが、扇子を構えて「敦盛」の舞をと思う間に、主役も端役もなく、舞台は無数の役者で超満員になっている。見回す間もなく舞台の上には70億人もの人々がいて、立錐の余地も無い。客席である芝生はもっと凄まじく、四方の見渡す限りが、何百億人、何千億人の死後の人々で埋め尽くされている。その延々と続く先には類人猿のような人々までもが見え、更にその先の水平線の彼方まで、死後の世界の人々、人々・・・。それら天文学的数の観客の一人一人が、かつてこの舞台に立って、自身の「人生劇場」の主役を演じ、舞台を降りた人々なのだ。自分の花道を大見得切って降りて行った人々もいれば、蹴落とされた人々もいる。芝生の上では、家族との再会を待ち詫びている人々もいれば、蹴落とした人々を手ぐすね引いて待ち受けている人々もいる。全ての死者が、ミュージカル「現世の人々」という舞台をそれぞれの思いで見つめているのだった。
天からは、何か生温かいものが降り注がれて来る。それらは無数の「魂」なのだ!舞台に降り立った無数の魂は、たくさんの子供たちに育ち、それぞれが託された脚本に従って小学校の学芸会に出たり、中学演劇コンクールに参加したりする。振り向けば、Kさんの背中には「走れメロス」や安部公房の脚本が張られていたのだ。ある子供たちの脚本は、ロシアの寒村で「屋根の上でヴァイオリンを弾く」という配役であったり、その最後の頁にアウシュヴィッツの文字が刻まれていたりする。
舞台の端からは、遂に足場を失った人々が雪崩れるように芝生へ転落して行く。あたかもパタゴニア氷河の河口で、その断端の絶壁が湖へ崩落する絶景と同じだ。Kさんも、押し合い圧し合いの末、とうとう一塊となって崩落し、平土間に落ちて人々の下敷きになり、息が出来ない・・・最早、絶命だ!
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Kさんは、必死でお湯の中から顔を突き出すと、口からプーと鯨のようにお湯を吹いて夢から醒めた。バスタブの中に水没したKさんは、溺れ死にするところだったのだ。壁に掛かったシャワーが全開のままで、温かいお湯が天井から降り注いでいる。溢れたお湯が、バスタブの淵から「白糸の滝」のように流れ落ちて、バス・ルームの床はびしょびしょだ。
Kさんは、ユニットバスを出て濡れた髪を乾かしながら考えた。
演劇界に長く暮らしたせいで、「自分は市井の人々とは別世界の人間なのだ」と自負していたが、あの夢を見てからはその気負いがなくなった。自分が舞台を降りた時、死後の人々と共に芝生の普通席に座り、神の視座でなく、一人の死者の視座から「現世の人々」を眺める、そんな日々が必ずやって来る。それは無念なことであり、また、避けられぬことであると、今は思えるようになっていた。
Kさんは、あの夢を見てからは、「死後」のことを考えなくなった。仏陀でさえ死後の世界については一切語らなかったのだ。今までに無限数の人々が死んでいった。天才凡才、賢人愚人、富者貧者、・・・。誰にでも平等に訪れる死は、そんなに難しくも恐ろしくもないのだろう。何も、「語り得ぬ」来世のことまでゴチャゴチャ考えずとも、今日を精一杯に生きることが大事なのだと、Kさんは当たり前の結論に達していた。
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それなら、人生楽しまなくっちゃ損なのだ。楽しいミュージカルのように過ごさなければ勿体ないのだ。気まぐれな神が突然「舞台を降りよ」と命じない内に。
黒澤明監督「生きる」のラストシーンでは、主人公役の志村喬が「ゴンドラの唄」を口ずさむ。「いのち短し恋せよ乙女 紅きくちびるあせぬ間に 明日の月日はないものを」と。あるいは「蘇州夜曲」では、「花を浮かべて流れる水の 明日の行方は知らねども」と唄う。昔から唄い継がれて来た曲は、確かに味わい深いものだと、Kさんは今更ながらに気付いたのだった。
Kさんの「人生劇場」は無限数の中の一つに過ぎないが、彼にとっては唯一のものだ。彼は、「願わくば、納得行く演技を見せて、最高の花道を降りて行きたいものだ」と、殊勝な心持ちに成っていた。