さよなら!ウィーン・フィル            目次に戻る


 ある町の商店街に「文明堂」という名前の店があった。入口にはジャズ、クラシック、ポピュラーのLP盤やドーナツ盤が並べられ、本棚には楽譜や音楽雑誌が整備され、ガラス戸棚には金色に輝く金管楽器や精巧な木管楽器が陳列されていた。この店の奥の壁には、ウィーン楽友協会ホールで演奏するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の大判写真が掲げられていた。その世界最高峰の演奏を聴くことは、音楽愛好家にとっては至上の夢なのだ。その夢を売るこの店は、この町で西洋文明が湧き出る唯一の源泉であったのだ。
 この店で売り場主任を務めるKさんは、ウィーン・フィルの写真を誇りに思いながら、今日もお客様の応対に忙しくしている。この町に生まれ育ったKさんは、地元の高校を卒業すると、この店に就職した。同校のブラスバンド部の部長を務めたKさんにとって、この店はこの上ない就職先だったのだ。誠実で、責任感が強く、取り分けクラシック音楽を好み、それを再生するオーディオ装置に詳しいKさんは、店長のお気に入りだった。
 Kさんの記憶力は抜群であり、一度聴いたレコードは忘れず、曲名をピタリと言い当てることができた。例えば、どこかでクラシック音楽が聞こえると、「これは、ブルックナー交響曲第8番で、カラヤンがウィーン・フィルを率いて1988年に録音した音盤ですよ」とまで言い当てるのだ。
 また、彼の聴力も抜群であり、あるレコードを聞いた時には、「ここで指揮者の足音が混入します」とか、「ここでコンサートマスターの呼吸音がするでしょ」とまで指摘するのだった。
 Kさんは、中学生や高校生のブラスバンド部の指導にも関わり、次第に、請われて定期演奏会の指揮台に立つまでになった。指揮台の上から楽員を見渡し、ウィーン・フィルとベルリン・フィルはどう違うのか、などを得々と講釈することもあった。Kさんは、得意の絶頂にあったのだ。
 将来は本物のウィーン・フィルを聴きに行きたいものだ。よし、定年退職したら、店主のオヤジさんから退職金を弾んで貰って、ウィーンへ直行しよう。お次は、妻への感謝にフルムーン旅行をプレゼントしよう。もちろんウィーン・フィルを聴きに行く旅行だ。その時はどういう服装で、ホールの客席はどの辺がいいのだとかを、事あるたびに語り続けるのだった。
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 しかし、Kさんの周囲はやがて雲行きが怪しくなった。年老いた父母が病気がちになり、認知症も重なると、Kさんの肩には家長としての責任がのしかかって来た。父母の介護量が増すにつれ妻の疲れは増していった。父母を有料老人ホームへ入れるのは金銭的に無理だし、子供たちの学費や自分たちの老後の蓄えまで考えれば、ウィーン旅行が不可能ではないにしろ、家計は決して楽ではないのだ。それでも、とにかく、「定年退職したら真っ先にウィーンへ行くのだ!」それが唯一の楽しみとなってKさんを支えていた。
 しかし、Kさんにとってもっと致命的な変化が訪れた。Kさんはある頃から、お客様の話を聞き間違えたり、店内のBGMの音量が大き過ぎたり、失敗が目立ち始めた。聴力低下を不審に思ったKさんは耳鼻科医院を受診したが、特別な病気もなく、早めに訪れた加齢現象であり、有効な手立てはない旨を医師から告げられた。やがてKさんの聴力低下は仕事にも差し支える程になり、補聴器も試みたが、繊細な音を聞き分けて来たKさんの耳にとって、どんな高性能の補聴器でも用が足りなかった。
 Kさんの聴力はやがて急速に衰え、ウィーン・フィルは急速に遠ざかった。定年退職が近づく頃には、両の耳は殆ど聞こえないくらいになっていた。自分はまるで、晩年に聴力を失ったベートーヴェンみたいじゃないか!自分は、神様が与えてくれた音楽をもうみんな聴いてしまったのか!これだと、例え現地へ行ったところで、ウィーン・フィルを聴くのは不可能なのだ。ウィーン・フィルの夢は永遠に叶わぬ運命だったのか!
 Kさんは、次第にウィーン・フィルを諦め始めた。それは、Kさんにとって、自分の半生の全てを葬り去ることであった。彼は、断腸の思いと最大限の惜別の情をもって、呟いた。さよなら、ウィーン・フィル・・・。Kさんは奈落の底に沈んだ。

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 ある夜、いつもかいがいしく父母を介護してくれている妻が、体調を崩して、珍しく床に伏せていた。Kさんは、何か出来ることはないかと思うが、生憎、家事も介護も苦手だった。Kさんは妻の隣に就床すると、「荘子」の本を開いてみた。西洋文明のウィーン・フィルが駄目なら、せめて全く別の東洋文明でもと思い、読んだことのない中国の古典を買って帰ったのだ。やはり馴染みがないせいで、すぐに眠くなり、読みかけの本を開いて顔にかぶせたまま、眠りに落ちて夢を見始めた。
 その夢の中で、Kさんは、かつて新婚旅行で訪れた中国江南の蘇州にいた。そこは「東洋のベネチア」とも称される風光明媚な水郷地帯であり、そこにある古い演舞場の観客席にいた。新調の背広を着て、舞台中央を臨む席に妻と並んで座っていた。夜の帳が降りて、演舞場の外も中も真っ暗だ。
 演目はよく分からないが、京劇の三国志か孫悟空だろうと待ち受けていると、「荘子、斉物論篇より楽師廃業」と記した垂れ幕が舞台袖に現れた。万雷の拍手に迎えられて舞台に上がった楽師は、七弦琴の名手である昭文であった。彼が琴を弾き始めると、演舞場はこの世ならぬ極楽の調べに満ちた。
 しかし、彼は突如演奏を止め、眼を閉じたまま天空に向かって耳を澄まし、二度と弾く様子がなかった。楽師は廃業し、演舞場を完全な静寂が支配した。ふと気付くと、隣の席に紹興酒で上機嫌になった老人が座っている。この老人は西晋の隠逸詩人・陶淵明であり、弦が張られていない琴を抱え、それを弾く素振りをしながら、こんなことを呟いている。
「もし一弦を弾けば、一音のみを聴いて他の全ての音は聞こえなくなる。もし弦を弾かなければ、全ての音が満ちていて完全なのだ。人為の一弦の音に煩わされてはならぬのだ」と。
 Kさんが舞台に目を戻すと、今度は大勢の楽員たちが現れた。次なる出し物は「荘子、斉物論篇より大地の笙声」と記した垂れ幕が現れた。笙とは長短17本の竹管笛を縦に束ねた楽器のことだ。気付くと、Kさんは舞台中央の指揮台に立っていて、楽員を見渡しながら指揮棒を中空に止めている。楽員たちは、笛や笙などの吹奏楽器を携え、Kさんの指揮棒を待ち構えていた。Kさんは、これからウィーン・フィルをも凌駕する歴史的名演を指揮するところなのだ。Kさんは、自分の半生の全てを込めて、指揮棒を振り下ろした!楽員たちは至上のハーモニーで応えると、突然楽器を置いた。眼を閉じたまま天空に向かって耳を澄まし、二度と吹く様子がなかった。演舞場を完全な静寂が支配した。Kさんも耳を澄まし、演舞場の外の気配を聴いている。
 既に月が落ち、暗闇の彼方で烏の啼き声が聞こえ、霜の気配が天空に満ちている。水路沿いの楓並木を揺らして秋風が渡り、漁り火が見える。姑蘇城外の寒山寺から、夜半を知らせる鐘の音が聞こえて来る。
 にわかに風が立ち、辺りの音を掻き消した。江南の地に大風が吹き渡り、あらゆる巨木がその洞から様々な音を放った。洞穴は遠吠えを上げ、山や谷が鳴動する。大地の吹くシンフォニーのようだ。
 Kさんが両耳に手を添え天空を見上げると、大地の遥か三千里の上空に厚さ九万里の偏西風が渦を巻き、大気圏の彼方には銀河系の無限数の星々がさんざめいている。シリウス、アンタレス、ベテルギウスらの巨星の合間で次々と超新星爆発が興り、巨大な例えようもない爆発音が宇宙の森羅万象に響き渡っている!これを確かに聴いたKさんは、思わず声ならぬ声を発しながら、自分が森羅万象と一体であると、感得したのだった。
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 明け方の薄明りの中、Kさんが夢から覚めると、スヤスヤと眠る妻の寝息が聞こえた。床の間に掛けた「楓橋夜泊(張継)」の拓本がかすかに見える。新婚旅行で訪れた蘇州市郊外の寒山寺でお土産に買い求めたものだ。さっきの夢の風景はこの漢詩の世界に端を発していたのだ。
 Kさんはさっきの夢を思い返していた。
 ・・・私は演舞場の舞台で「人の吹く笙」を聴き、次いで大風が吹いて「大地の吹く笙」を聴いた。最後に、宇宙の森羅万象に響き渡る「天の吹く笙」を聴いた。あたかも「荘子」の読みかけの部分を追体験したのだ。
 そうか、自分はウィーン・フィルという「人為」の極みの一つを追い求める余り、その他の圧倒的多数のものに目をつむり、耳を塞ぎながら、年老いたのだ。ところが今、この「人為」を去ることで、自分が森羅万象と一体であると、感得できたのだ。
 よし!「人為」から去り、自然に従って、もっと大きな心境を目指してみよう。今こそが、そのための登竜門なのだ。そう気付けたのも、ウィーン・フィルに拘ってきたお陰だったのだ!
 新しい自分を発見したKさんは、満ちる思いと精一杯の感謝をもって、もう一度呟いた。
 さよなら!ウィーン・フィル。


      青森県医師会報 平成29年 9月 652号 掲載

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