車輪の下                   目次に戻る


 K君は、横須賀市の米軍基地の町に生まれ育った。すぐ近くに米軍の海兵隊で賑わう「どぶ板通り」があって、幼少の頃そこで遊んでいると、まるでアメリカの田舎町に居るみたいな錯覚に陥ってしまうのだった。K君は、この商店街の人たちとは家族も同然であった。
 K君の父は、同市の海上自衛隊基地に所属する幹部であり、品行方正で、その任務に誠実であった。そんな環境に育ったK君にとって、父は英雄であった。父は日本国を守り、その父は日本国憲法に従っている。だから「法」は至上のものなのだ。K君は、父の後を追いながら、「法の番人」を志すようになった。
 成績優秀なK君は、父母や町の人たちから大きな期待をかけられて育った。地元の有名な男子制進学校から迷わずW大学法学部へ進むと、大学近くの六畳一間の下宿に引っ越して、意気揚々の学生生活を始めたのだ。硬派で鳴らしたK君は、理想を語るロマンチストであった。講義が終われば、法研サークルの連中と天下国家を論じ合い、しばしば安い居酒屋に繰り出しては、熱く世相を断じるのだった。
 酔うと決まって持論を展開した。法律は万人を支配するという内容だ。
 例えばある晩の内容は次の通りだ。仮に、二人の男が難破船から放り出されて離れ小島に漂着したとする。食料が底をついて奪い合いとなり、遂に一方が他方を殺してしまったとする。生き残った一人は、「殺人の罪」により、自分で自分を罰しなければならない。自分で自分を死刑にしなければならないのだ。たとえその人物が地球上最後の人間であっても、法の裁きから逃れられない。それ程、法は崇高で絶対のものなんだ!
 それ程に潔癖なK君は、安易な生き方をする同級生や、上手な金儲けを狙う商学部の連中が許せなかった。私利私欲の政治家や経済人たちが、自分と一緒の社会に、悠々と暮らしている。そんな現実を知ると、悔しかった。程々に現実と折り合って生きることができなかったK君は、やがて夢見るロマンチストだと小馬鹿にされ、疎まれて、次第に孤立していった。
                     ☆
 
 K君の本棚の一隅にヘルマン・ヘッセの文庫本が無造作に置かれている。高校時代に通学電車の中で読みふけったものだ。K君は、懐かしくて、最も思い出に残っている「車輪の下」を開いてみた。
 その荒筋は次の通りだ。主人公のハンス少年は成績優秀であり、難関の州試験に合格して神学校に入学した。町の人々から将来を期待され勉学に励むが、神学校の秀才たちと交流するうちに、勉学一筋であった自分の生き方に疑問を抱く。それでも周囲の期待に応えようと、自分の悩みを押し殺して勉学に励むうちに心身疲弊してしまう。挫折したハンスは遂に神学校を退学して帰郷する。そこで機械工として出直しを試みるも、かつての同級生よりも技術的に劣るのであった。自暴自棄となり、かつ初恋に落ちたハンスは、慣れない酒に酔って川に落ち、溺死してしまう。町の人たちは、自分たちがハンスを悲劇に追い込んだのだと詫びるが、これもハンス自身が選んだ人生であったのだと考え直して、冥福を祈った。
 こんなストーリーが何故かK君の心に引っかかっていた。その理由が今になって分かったのだ。主人公ハンスは、ヘッセ自身であり、それはまた、K君自身なのだ。K君は、「車輪の下」をドイツ語辞典で引いてみた。「 車輪の下敷きになること」、〈比喩〉「落ちこぼれること、堕落すること」とあった。それは今のK君の心境そのものであったのだ。
 
 「車輪の下」を久し振りに手にしたことが誘因となったのか、K君はその夜夢を見た。
 その夢の中で、自分が巨大なコンクリート・ローラーの下敷きになり、路面との間で今まさに潰されようとしていた。父母や町の人たちが、「K君頑張れ」と遠巻きに応援している。滑稽な笑い話ではなかった。余りの重圧にK君は息が詰まった。忽然と自分の人生のテーマに気付いたのだ。
 俄然、K君は「法を体現した人物」になるのだと決心を固めると、六畳間の真ん中に文机を置き、四方の壁を法規集や判例集で一杯にして、司法試験の体勢に入ったのだった。 彼は、真の「法」を求めて、その根源を問い始めた。それはそのまま、人間性の根源を極めることに他ならなかった。極めようとすればするほど、彼の心中は混乱し、深みに沈み、現実から遠のいた。彼の部屋の本棚は、六法全書などよりも哲学書や宗教書が増え始めた。神の啓示や、仏陀が説く仏法や、宇宙を支配する自然の法則などへと追求の矛先は潜行深化するのだった。友人たちは、それぞれの現実と程々の折り合いをつけると小賢しく、商法、税法、行政法などを身につけて、司法試験への体勢を堅実にして行くのに、K君は逆方向へ進んで行くのだった。
 ある学生が在学中に司法試験に合格したというニュースを小耳にしながら、K君は何度か司法試験に挑んだが、叶わなかった。卒業を二回見送れば大企業は就職の門戸を閉ざすのだし、正職員として就職するなら司法試験を断念せざるを得なかった。従って、パート就労で食いつなぐしか道はないのだった。K君は、父母や町の人たちに会わせる顔がなかった。実家がそう遠くもないのに、次第に足が遠のいた。父母からの仕送りを遠慮するようになり、携帯電話も放置するようになった。パート職を転々として数年が過ぎた頃から、彼の健康保険証には低所得者世帯のマークが付くようになった。
 彼が「大成学習塾」のバイト教師で生活費を捻出していた頃のことだ。ある夕暮れに、学習塾の児童たちが文部省唱歌「故郷(ふるさと)」を歌っていた。
「うさぎ追いしかの山・・・、如何にいます父母、つつがなしや友がき・・・、こころざしを果たして、いつの日にか帰らん、山は青き故郷、水は清き故郷」
という歌声が聞こえて来た。突然、K君の眼前に横須賀の「どぶ板通り」の光景が在り在りと広がった。K君は、胸に熱く込み上げて来て、両の眼に涙が溢れ頬を伝った。

 一体どの法律が彼の心を満たして呉れただろう。どの法律も皆、重くのしかかり、罰するために降りて来るものだった。人を罰する法律に心の救いを求めたって、筋違いであって、それは土台無理な話なのだ。仏教では、諸行無常、諸法無我、一切は空(くう)であると教え、法律だって最終的には空虚なものだ。前世も現世も来世も全ては心が作った幻なのだ。中空に一所懸命に築いて来た足場が崩落し霧散し、K君は奈落へ転落して行った。拠り所を失い、自信を失い、自己を否定し、K君は生きて行けなくなった。人生の輝きの時を迎えることなく、済し崩しに彼の人生が過ぎて行った。
 そんな頃、珍しく母から電話が入った。あれほど頼もしかった父が、最近急に体力も気力も衰えて、K君のことを随分と心配している。顔を見せたらどうか、というのだ。
 その夜、K君は夢を見た。父が亡くなり、その葬儀を自分が取り仕切っている夢であった。K君は喪主を務め、父の死を悼み、大層悲嘆に暮れていた。夢から醒めたK君は、その情景を「フロイト夢判断」みたいに解釈をした。つまり、K君は、父が余りに重荷であったので、夢の中で、自分が手を下すことなく、自然に死んで貰ったのだ。その上、自分が父の野辺送りの役割を演じることで点数を稼いでいるのだ、と。K君は、そんな夢を見てそんな卑屈な解釈をする自分を、更に責めるのだった。
                    ☆

 ある夜、K君が泊まり込みのバイト仕事から帰ると、ポストに速達郵便があった。「父危篤」と母の手で走り書きした内容だった。終電で実家に駆けつけても既に間に合わず、言い訳も叶わなかった。母は悲嘆に暮れていた。K君は、久しぶりの父に再開するかのように遺影に手を合わせた。遺影の父は驚くほどK君に似ていた。
 近親の人たちが、簡素な葬儀を済ませて、それぞれの生活の場へ帰って行った。
 K君は、自分のアパートに帰り着くと、その夜に父の夢を見た。夢の中の父は、士官のような、雲水僧のような姿をしていて、こんな内容の話をした。
 ・・・私の父は太平洋戦争へ出征した。そのまた父は日露戦争へ出征した。私は父たちを目標として自分の任務に精進した。私の任務は憲法や自衛隊法などに定められたものだった。そして私は今やっと現世での任務を解かれた。こんな私の姿が、お前を自縄自縛にさせたのかも知れない。かつて私がそうであったように。お前はもう私から自由になりなさい。お前は親孝行な息子だ。私はお前を誇りに思う。さようなら・・・
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 夢から覚めたK君の頬は涙で濡れていた。K君の半生は、父に自分を認めて貰いたくて、泣きながら父の後を追いかけた、そんな子供の「もがき」のようなものだったのだ。父は、「もう追わなくてよい」と言い残して、もう追いかけても届かぬところへ行ってしまったのだ。それでも、夢の中の父が「お前は親孝行だ」と言ってくれたことが、K君にとってどれ程か自信となり、楽しい思い出になったことだろう。「人は、たった一つでも楽しい思い出があれば、生きて行ける」のだ。
 K君は、司法試験を目指したことで、その目的とは裏腹に、死刑などの人為的な「法」は必要悪であり、究極の「法」ではないと知ったのだ。現在の「法」は、人類の努力とその結果の積み重ねであって、まだまだ未熟で欠陥だらけなのだ。それでも、より良き「法」を得るために、今はそれに従うしかない。そして、その背後には、完全な神の啓示や、新羅万象に行き渡る仏法や、毛髪一本の例外もない自然の法則があって、既にその中で人々は間違いなく救われ守られているのだ。K君は、そういう気持ちに成れたのだった。
 K君は「振り出し」に戻って自問した。
 自分は、19xx年、あの父のもとで「どぶ板通り」に生まれた。それが全ての始まりだったのだ。その理由を何度となく問うても、答は得られなかった。その上、父や「どぶ板通り」からも自由になると、まるで親も住処も失った浮浪児のような気持ちに成ったのだ。今のK君に残されたのは、「自分が今ここにいる」という自覚だけだった。
 全てから自由になって、それで自分は何をしようというのか?世俗社会に居れば、喜びがある分だけ苦しみもある。自分は、妻も子もなければ、責任もない。まるで、出家して世俗の責任を放棄した雲水僧みたいだ。そうして唯々自分の悩みだけに関わっている。そういう自分は、社会から逃げだした「車輪の下」じゃないか。もっと他に、自分の本当の人生はないものか。
 K君は、W大学の校友会から卒業生名簿を送って貰った。そこには同級生と一緒にK君の名前が並び、その「住所・勤務先」の覧は「行方不明」となっていた。

          青森県医師会報 平成29年 2月 645号 掲載


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