水槽の中の「私」                目次に戻る


 西暦20xx年、東南大学医学部第三生理学教室のK准教授は、根気の要る地道な研究を続けていた。彼は、動物の神経細胞に微小ガラス電極を刺入して活動電位を測定することで、知覚神経、運動神経などの活動を探るという、基礎的な分野を専攻していた。
 一方、世界ではiPS細胞の発見とその応用技術が飛躍的に発展した結果、水槽の中で神経細胞を培養し増殖させることが可能になっていた。K先生は、電気生理学におけるご自身の技術と最新のiPS細胞とを組合わせることで、人間脳の本質を究めたいと考えていた。

 ある日、K先生が本棚の前で文献を探していると、ひらりと一枚の論文が滑り落ちた。
哲学者ヒラリー・パトナム「水槽の脳」という論文だ。その内容を要約すると次のようだ。 もし、人から脳を取り出して、水槽内の特殊な培養液中に生かして置いたとする。この脳の神経細胞を、電極を用いて、超高性能コンピュータに接続する。このコンピュータを上手に操作すれば、水槽内の脳の中に通常の人と同じように、「私」という自我意識が生じるだろう。そう考えると、「私」が、現実に存在すると思って見ている「この世界」は、実はこのような水槽の中の脳が見ている「バーチャル・リアリティ(仮想現実)」かも知れないのだ。「水槽の脳」とは、そんな思考実験を定式化させた論文なのだ。
 かつてこれを読んだK先生は、大脳生理学を先攻する自分ならもっと具体的に検証出来るはずだと思い、将来の課題として保管して置いたのだ。

               ☆

 その日も、K先生は微小ガラス電極を刺入する実験に精根を傾けていた。しかし日頃の疲れから睡魔に襲われた彼は、実験台に突っ伏して居眠りに落ちて夢を見始めた。
 その夢の中でK先生は、西暦1892年の哲学者ヒラリー・パトナムの主宰する研究室にいた。K先生は、気鋭の生理学者として、またiPS細胞培養の優れた技術者として、この研究室に招かれて共同実験に従事している、という設定になっていた。
 K先生は、研究室の一番奥の部屋に一人居て、iPS細胞から神経細胞を分化させ、その細胞を更に分裂・増殖させるという作業に精根を傾けていた。水槽の中の神経細胞の塊は奇妙な形に成長し、それはK先生がかつて発生学や解剖学で学んだ中枢神経系の形とはまるで違っていた。
 今、K先生は、あたかもファウスト博士の心境だった。ゲーテ「ファウスト」の物語では、ファウスト博士は、あらゆる学問と錬金術を駆使して「人工生命」を誕生させる。博士は、これに「オイフォーリン」という名前を与え、天空へ旅立たせた。K先生は、このストーリー展開に因んで、ご自分の神経細胞塊に「良太」と名付けた。
 K先生は、早速、「良太」から神経線維を選び出し、微小電極を刺入する作業に取り掛かった。先ず、臭覚、視覚、聴覚、温痛覚などの五感を入力するために、それぞれの知覚神経に電極を刺入し、これらの他端を超高性能コンピュータに接続した。次いで、発語などの意思表示を導出するために、これに係わる運動神経に電極を刺入し、この他端を超高性能コンピュータに接続した。その設定が完了すると、さっそく超高性能コンピュータから「良太」の知覚神経を通して、匂い、景色、音楽、寒さ・暖かさ・痛み、日本語文法、等々の情報を次々に入力して行った。
 「良太」の学習能力は驚く程だった!程なくして、コンピュータに内蔵されたスピーカーを通して、幼い子供の声がする。
「何か匂いがするよ、景色が見える、気持ちいい音楽だね、暖かいし、私の名前は良太っていうんだね・・・」
と言っている!しめた。「良太」に意識が発生した。やった!人工生命「良太」の誕生だ!思っていた通りだ。入力信号が、あたかも木霊(こだま)となって返るように、出力信号となって返って来る。その時に「私」という感覚が伴うらしい。これが脳の基本構造なんだ。このメカニズムを論文に纏めればノーベル賞まちがいなしだ!K先生は早る心を抑えるのに必死だった。
 やがて、「良太」のIQは、幼児、小学生、中学生のレベルに成長し、「私は○○だ」とか、「私は△△が欲しい」とか、自己主張を始めた。つまり自我の芽生えだ。それと共に、やがてこの夢は暗転し始めた。
 「良太」は、「私って条件反射に過ぎないの?」、「私には自由意志がないの?」、「私はどんな姿?」、「私って何者なの?」、「私にその答えが分かるの?」、などなどの自問自答を始めた。そういう「語り得ぬもの」が自然発生し、ついには神とか真理とか言い始めて、「死ぬのが怖い!」とか叫び始め、祈るやら、嘆くやら、手が着けられなくなってきた。
 とうとう堪忍袋の緒を切らしたK先生は、コンピュータのキーボードを叩きながら、「良太」大人しくしろ!、余計なことを考えるんじゃない!と思わず怒鳴りつけていた。遂に、超高性能コンピュータでも制御不能となり、ガラス管が破裂し電気コードが飛び散り、あちらこちらから火花や煙が上り始めた。パニックに陥ったK先生は、思わず主電源スイッチを切ろうと手を伸ばした。いや、ダメだ!そしたら「良太」を死なせてしまう!・・・
               ☆

 K先生は夢から覚めた。突っ伏していた顔には、ガラス管や電気コードの圧痕が残っている。そんな顔で考えた。
 「良太」の場合、知覚神経と運動神経との間に存在する神経が、余分な発達をして、余分な神経活動をもたらしているのだ。つまり、単純な記憶を越えた抽象化・一般化・推理力などの能力が、「私」を余分な迷宮に追い込んでしまったのだ。そんな余分な発達を上手に取り除けば、「私」は迷うことなく、もっとスマートに生きられるのかも知れない。そう、「良太」に限らず、全ての人間はもっとスマートに生きられるのだ。でもそしたら、それはもう人間じゃなくなるのか?いずれにしろ、これらのメカニズムを追求して、新しい分野の開拓者になろう!
 しかし、待てよ。こんな「心の科学」という曖昧な領域に踏み込んで、破格の論文を発表したら、自分は生理学者としての生命を絶たれるかも知れない。それを恐れたK先生は、大いなる野望を封じて、再び、相も変わらぬ、根気の要る地道な研究に戻ったのだった。
 更に残念な事には、こんな経験をする自分こそが、実は、水槽の中に培養されている「神経の塊」なのかも知れない、そんな不安が拭い去れなくなったのには閉口したのだった。

      青森県医師会報 平成22年 8月 567号 掲載




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