夜と霧の中で                        目次に戻る
 
 K先生は、北国の寒村に生まれ、祖父母や叔父叔母も同居する大家族の中で育った。生家は、近所の人たちも出入りするので、とても賑やかだった。例えば、生家を建築した大工のAさんと土建業のBさん、向かいの食料店のCさん、役場のDさん、郵便局のEさん、田植えに来てくれた早乙女のFさん等々で、みんな頼もしく素朴で優しい人たちばかりだ。何があっても「お互い様」で、誰彼となく助け合って暮らして居たのだ。
 そこは医療過疎の村であり、病人が出れば対応に苦慮した。「医者に掛かるのは死ぬ時だけ」とさえ言われていた。そんな中で、「K君が医者になって村の役に立てたらいいのにね」と周りの人たちが言ってくれたのだ。
 それに小学校の先生がよく言っていた。「若い頃に周りの人たちから受けた恩を、一生かかって返しなさい。それが立派な人間です」
 それでK先生は、「自分が、みんなのために医者になり、村に帰って恩返をしよう」と考えたし、そんな使命感がやがてご自身の「生きる意味」にもなったのだった。
 
                   ☆

 やがて、K先生が、医学生、研修医と進み、医局生活を経て故郷を目指す頃、日本の社会は大きく変化していた。西洋文化が浸透し、個人主義を重んじるようになった。資本主義のもと人々は物質的豊かさを求めたため、貧富の格差が広がり、金権主義が蔓延した。K先生の故郷も同様で、かつての地域社会は崩壊し始めていたのだ。
 そんな故郷でK先生は念願の内科医院を立ち上げることができた。かつてお世話になった人たちが懐かしい顔を綻ばせて来てくれる。何と嬉しく誇らしかったことか!この人たちへの恩返しは体力気力を要し大きなストレスでもあったが、自分はこの人たちのために役立っているのだと思えたし、ストレスに見合うだけの対価として使命の達成感があったのだ。
 やがてK先生は、祖父母、叔母、兄などの家族や、思い出深いAさん、Bさん、Cさん・・・たちを20年の歳月を掛けて彼岸へ見送るに従い、自分の使命が終わって行くようで、次第に大きな虚無感に囚われ始めた。最後に両親を見送れば、自分の地域医療の使命は終わるのだ。同時に、生き甲斐も失うのだ。
 その後を追うようにして、生活物価の安価なこの村を目指して、他の市町村から要介護の見知らぬ老人たちが送られて来るようになった。少子高齢化の社会を切り抜けるために、要介護老人を収容する施設がこの村にたくさん作られていたのだ。K先生は、見知らぬ老人のお世話に汲々(きゅうきゅう)とするばかりで、そこには使命感も「生きる意味」も見出せなかった。彼らの急変への対応は苦痛にすらなっていた。社会は「経済」で動き、K先生は「恩返し」で動いていたからだ。
 K先生は、医療の合間に読書に努め、「生きる意味」を探し始めた。
 「神(西欧思想)は死んだ!」と言われ、世界の屋台骨であった西洋思想の没落は既に明らかであった。東洋の仏教は、「前世・現世・来世は全て虚妄である」と語り、K先生に「生きる意味」を与えるものではなく、むしろ「意固地になって生きるための意味」を霧散させてしまうものなのだ。多くの本を読めば読むほど、今までの自分勝手な価値観が崩壊して行き、混迷は増すばかりだ。とうとう自分が何を為すべきか全く分からなくなってしまったのだ。K先生は、「人生に、生きる目的、理由、意味などない」と呟(つぶや)くのだった。

                   ☆

 ある夜、K先生は、妻に頼まれた力仕事を終えてシャワーを浴びると、パジャマ姿で板の間に横臥し、テレビを点けた。NHK特別番組「新・映像の世紀(第3回)第二次世界大戦」が映し出され、悲壮なテーマ曲に乗って重苦しいナレーションが流れた。
・・・ファシズムの迫り来る西欧において、人々は物質的豊かさを求める余り、ナチス・ヒトラーの台頭に目をつむっていた。やがて人々が気付いた時、既に遅かった。ヒトラーは全権を掌握し強引な膨張政作を開始していた。彼は、(法律)「夜と霧」を制定し、「夜と霧」の闇に紛れて、厖大な数のユダヤ人や反抗者を拉致し強制収容所へ送り続けたのだ・・・

 K先生は、仕事の疲れから、テレビを点けたまま居眠りに落ち、夢を見始めた。
 夢の中でK先生は、アウシュヴィッツ強制収容所の中に居て、粗末な木製の三段ベットに横臥していた。上段にも下段にも両隣にも、多数の老人たちが横臥していて、身動きできない。一緒に移送されて来た家族や同郷のAさん、Bさん、Cさん・・・らは既に他の施設へ移送されて消息を絶っていた。その後を追って欧州各地から見知らぬ老人たちが次々と送られて来るのだ。
 K先生は飢えと寒さに弱り果て、極度のるいそう状態だ。顔色が悪く、下着一枚ほどの姿には往時の見る影もなかった。あらゆる不条理と侮辱に耐えるために、心を凍らせ、極度の無感動に陥っていた。
 K先生は生きる意味を失っていた。「人生に、生きる目的、理由、意味などない」と呟き、配給の煙草を吸おうとしていた。すると隣に横臥していた男が、それを察してK先生を見つめている。K先生は、隣のその人物が(記録文学)「夜と霧」の作者である精神科医ヴィクトール・フランクルであることを知っている。
 フランクルはおもむろに語り始めた。
 ・・・人生に意味は無い。自分が人生に意味を与えるのだ。見給え。出入り口や通路に集まって煙草を吸う人たちがいるだろう。食べ物と交換できたはずの煙草をとうとう吸ってしまうのだ。彼らは人生がもはや自分にとって意味が無いと決めたのだ。生きることを投げ出したのだ。「生きる意味」を失った人はタバコを吸ってしまうのだ・・・
 K先生は手にしたタバコをそっと体の下に隠した。

 突然、数人のドイツ兵が現れた。命令を伝える荒々しいドイツ語が響いた。
「この部屋の者たちは、今日、シャワー浴が許可された。軍医殿の選別に従い、顔色の悪い者から順にシャワー室へ移動せよ!」
 運命の悪戯のようにして、突然生死が分かれるのだ。K先生は、大勢の見知らぬ老人たちに混じって移動し、脱衣場を通ってシャワー室へ閉じ込められた。天窓から、開封された「チクロンB」缶が落下して来た。K先生は、大きなくしゃみをすると、悪寒がして気を失い、コンクリートの床へ倒れた・・・
                  ☆

 K先生は、夢から覚めた。床板に横たえた体が冷え切っていて、風邪をひいたらしい。ちょうど、NHKテレビ「新・映像の世紀」の凄惨な映像が終了したところだ。こんな酷(むご)たらしい映像は見たことがなかった。K先生は、そんな映像から逃れるようにテレビを消すと、寝室へ上がって布団に潜り込んだ。
 K先生はこれからの人生にご自分で意味を与えねばならなかった。寝室の柱には日めくりカレンダーが掛かっていて、そこに見える「今日の言葉」は、
「遊びをせんとや生まれけむ」だった。
 それは「生きる意味」なんかとっくに超越した高雅な境地だ。これからどうやってそんな境地になれるのだと悩んでしまう。それは、アウシュヴィッツへの運命を辿った人々の絶望とは余りに対極的な悩みだった。


               青森県医師会報 平成28年7月 638号 掲載


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