語り得ぬもの                      目次に戻る


 高等学校で「倫理」の科目を担当するK先生は、教師生活を締め括る最後の授業を控えていた。この三月、受け持ちクラスの生徒たちを社会に送り出せば、ご自身も定年退職を迎えて教師生活を卒業するのだ。そうしたら悠々自適の生活をしながら、地元のタウン誌に「私の西欧文化入門」を連載してみようかと、楽しい夢を思い描いていた。

 その日、教職員室のご自分の机で昼食を済ませると、ソファーに腰掛けたまま短い午睡を取った。これも長年の習慣だ。K先生は眼を閉じると、どうしてご自身が「倫理」の教師になったのか、ここに至るまでのご自身の前半生に思いを馳せていた。
 K先生は少年の頃から、ふと「自分って何?」とか「今なぜ自分はここに居るの?」とか、不思議な気持に囚われることがあった。その答えを知りたいと思ったのだ。それに、K先生は人間を二つのタイプに分けて考えてしまう。つまり、「哲学・宗教」を好む人間と、「政治・経済」を好む人間とに分けてしまうのだ。前者は、精神的なものを重んじ、永遠不変の理想に憧れる。後者は、物質的なものを好み、社会の動きに臨機応変するのが得意だ。K先生は間違いなく前者だったのだ。
 それに、終戦直後に生まれたK先生の周囲には西欧文化という新思潮が否応なしに押し寄せていた。K先生は、西欧の人々がイエスかノーかの論理的な対立に命すら賭けるのを見ると、そこに潔癖さや気高さを感じ取った。他方、実家が仏教であるK先生は、仏教世界の人々が清濁併せ呑み、捉え所の無い態度をとるのを見ると、胡散臭い汚れた人々だと感じてしまうのだ。
 これらのことからK先生は、進路としてW大学(西洋)哲学専攻へ進み、卒業後は「倫理」を担当する教師となったのだ。この仕事は、生徒を教え導くと共に、ご自身を進歩させる真理探究の道でもあったからだ。それでも、大学の学者と違い多忙な教師生活を送るK先生にとって、万巻の書物を読破するなど夢の又夢なのであり、独学による断片的な独善的な理解を積み重ねて、標準的な考えを構築することで精一杯なのであった。K先生の自主勉強は、古代ギリシア哲学や中世のキリスト教から近世、近代を経て、現代思想に至ろうとする所で、今日の定年を迎えてしまったのだ。
 それでも40年余の歳月を経ると、手元には数冊の講義ノートが残された。この講義ノートはK先生にとって人生最大の宝物なのだ。暗唱までできてしまい、眼を閉じても何がどこに書いてあるか言い当てることが出来るのだ。この講義ノートの最後のページを講話すれば、高校教師の生活は完了するのだった。
 これまでK先生は入試によく出題される西欧文化を中心として授業を進めてきたのだが、時々どこか虚しい気持や居心地の悪さを感じることがあった。それは西欧が余りに深遠高潔であり、東洋や自分が未開で未熟なせいなのだと考えてしまうのだった。
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 K先生は、ソファーに座り講義ノートを膝の上に開くと短い眠りに落ちたが、今日は奇妙な夢を見始めた。その夢の中で、K先生は「七変化」の独り芝居を演じることになった。芝居の台本は講義ノートであり、ご自身の口からは繰り返し講義してきた哲人たちの名言が淀みなく流れ出るのだった。
 先ず、K先生はソクラテスに変身していて、古代ギリシアのアテネの広場(アゴラ)に布衣を纏って立っていた。
「諸君!より善く生きるのだ」「汝自身を知れ」「無知であるを知れ」「徳は知なり」という内容を市民に熱く語っていた。
 次に、プラトンに変身すると、アカデミーに立ってアテネ市民に倫理学の講義をしていた。「愛(エロース)により、物質から精神へ、個別から普遍へと知を高め、善のイデアを感得せよ。知恵・勇気・節制・正義の四元徳をそなえて、魂の調和を得よ」と語る彼の講義は高邁な精神に満ちていた。
 続いてアリストテレスに変身すると、学園内で弟子たちに語っていた。「現実態の奧に可能態があり、その究極に最高善=幸福がある」。彼は、詩学、自然学、政治学、倫理学などの多くの学問を始めたが、「形而上学」(哲学)を最上のものとしたのであった。
 舞台は急変し、K先生はイエス・キリストとなり、粗末な布衣を纏ってイスラエルの荒野に立ち、貧しき人々に神の愛を説いていた。「父なる神の愛(アガペー)は、無差別・無償の愛であり、永遠の愛である。神は人間に対し、神への愛と隣人への愛を命じた」と説く彼の姿は人々に畏怖の念を呼び覚ました。
 K先生は、次いでアウグスティヌスとなって「愛・希望・信仰」の三元徳を上乗せしたし、トマス・アクィナスとなって、ギリシア哲学の上に「神学」を上乗せして、西欧文化の原型を作り上げたのだ。これに続けて、西洋哲学史とキリスト教史に登場する数多の哲学者や宗教者の名言を代弁したが、皆々が本質的に同じこと述べるので、もう良く覚えていない。
 突然、K先生はニーチェに変身し「神(西欧文化)は死んだ!我々が神を殺したのだ!」と叫んだ。そしてK先生は、ウィトゲンシュタインの相貌となり、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」と呟(つぶや)いた。ご自身の口から思わぬ言葉を発したK先生は、まるで舌を噛んでしまったかのように口を閉ざした。心中狼狽したK先生は、最後に何か「締め括りの言葉」を決めて大見得を切ろうと襟を正したが、突然、教会のミサの終わりを告げる鐘の音が、耳を聾するばかりに響きわたった。
                    ☆
 
 K先生が夢から覚めると、午後の授業開始のチャイムが鳴っている。
 ああ夢だったのか。まるでご自身の存在証明を打ち砕くような夢だったのだ。K先生の頭は否応なしに悪夢の内容を反芻していた。
 ・・・ソクラテスは「汝自身を知れ」と人々を迷宮に誘い、プラトンは「理想」という名の迷宮を築き、キリストは「神」という名の迷宮を築いた。両者は相まって広大無辺な迷宮となり、以後の西欧を支配することになったのだ。言い換えれば、感覚できる現実世界(形而下、語り得るもの)の向こうに、感覚できない永遠の世界(形而上、語り得ぬもの)があり、それが現実世界を動かしているのだと、西欧の人々はそう信じて来たのだ。
 これに対し、我々現代人は、科学の進歩によって「感覚できない永遠の世界」を否定し、全ての世界は合理的に説明できるようになったと考えている。科学の進歩は、ユークリッド幾何学やニュートン力学をも失墜させた。今度は非ユークリッド幾何学やアインシュタインの相対性理論やガモフのビッグ・バンなどが信じられ始め、我々は進歩したと思っている。しかし、我々はこうした科学を信じることで進歩したのだろうか?我々は「科学」という名の次なる「神」を仰ぎ始めたに過ぎないのではないか?西欧は進歩するという考えは西欧の自信を支えて来たが、西欧は幻想を追っているに過ぎないのではないか?自分は、そのまた後を追っているのではないのか?

 今までK先生は、西欧2500年の歴史とご自身の前半生とを重ね合わせて来た。ギリシア哲学とキリスト教は、西欧にとってもご自身にとっても、長大な夢物語だったのか?西欧の失墜はそのままご自身の失墜であった。自分は、「語り得ぬもの」を無理やり語ろうとして、無駄な努力を続けて来たのではないか?自分は、得々として生徒たちを「出口のない迷宮」へ誘い込み、「悩んで成長せよ」と言い続けて来たのではないか?。半生を掛けて独学した哲学が彼に教えてくれたこと。それは「哲学とは、ありもしないものについて無理やり語ろうとする無駄な努力である」という教えだったのか?

 K先生は膝の上の講義ノートを閉じた。それでも、少年の頃の「自分って何?」とか「今なぜ自分はここに居るの?」とかの気持は、今も変わることなく続いている。一体、我々は「何」から「何」を学べば良いのか?もしかして、学べるものなど始めから無いのじゃないか?我々には、「自分って何?」とか「今なぜ自分はここに居るの?」とかの、そんな感覚しかないのじゃないか?こんな一番大切な問題に「答え」は無いのか?あるいは「答えは無い」と気付くことが「答え」なのかも知れない。
 心が千々に乱れたK先生は、卒業する生徒らに何か「贈る言葉」を準備するはずだったのに、沈黙せざるを得なかった。K先生は教室へ向かった。かつて教室までの廊下がこれほど長く思えたことはなかった。

     青森県医師会報 平成28年 4月 635号 掲載


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