K大統領の窮屈な初夢              目次に戻る


 西暦20××年の正月。K大統領は、なにやらこの国の歴史博物館のような所を一人で散策しているらしかった。館内はひっそりとして、彼の靴音だけが何百もの展示室に響き渡っていた。
 K大統領は名門の出自だった。彼の先祖たちは、至る所で世界史の表舞台に登場しては、不朽の武勲や名声を残して来たのだった。それらを語る展示物がこの歴史博物館の屋台骨を支えていた。最初の展示室には、この地方を統一したK大王の肖像が数多の臣下を従えて聳え立っていた。彼はK王国を打ち立てることで自身の価値と誇りを人々に認めさせたのだった。その気概に満ちた生涯は永遠にその輝きを失わなかった。
 その向かいの展示室には、未だ硝煙臭を放つ大砲が置かれ、その傍らにK指導者が立っていた。彼は、人間としての尊厳を踏みにじられた人々と共に蜂起し、革命を成就へと導いたその人であり、その理想として掲げた宣言文は、未来へ向かって崇高な光を投げ掛けているのだった。
 このように、何百もの展示室には、おのれの思想に基づきその世界を制覇した様々な英雄たちが立ち並んでいたのだった。

 やがて最後の展示室へ至ったK大統領は、その展示物を見て目を疑った。表示板には、「東西冷戦の終結、東欧・ソ連の社会主義の瓦解、そして歴史の終焉」と書いてある。
 「歴史の終焉?」
 彼は目を皿にしてその下の解説文を読んだ。そこには、
 「社会主義という歴史的な巨大な実験は失敗に終わった。もはや民主主義に対抗できる思想は全てなくなった。もとより思想の違いによる争いが歴史を進める原動力であったことを考えると、これ以降、世界規模の戦争は起こり得ない。民主主義と資本主義が最終的な勝利を得たのである」
と書いてある。
 そこの展示室には、あたかもタコ焼き鉄板で大量生産したような蝋人形がたくさん並べられてあり、ある者はパソコンを必死に叩くことで腹一杯に食べ、ある者は希望もなく飢えていた。その説明文は、
 「人々は、合理性の名のもとに資本主義の経済的競争に明け暮れるのみで、富の獲得と消費だけに興味を持ち、富の偏在する停滞した社会の中で平凡な消費者に成り果てている。その他にはもはや何もすることがない。歴史はそのエネルギーを放出し尽くして終焉を迎えた」
と書いてある。
 K大統領は慌てた。もし歴史が終わったら、表舞台の出番が自分に巡って来ない!蝋人形に成り果ててしまった人々に危惧の念を抱きながらも、彼はその先へ進むしかなかった。順路の先は空室で、「展示準備中」の札があり、その先は出口だった。外は霧が流れ、彼は五里霧中だった。
 彼はキリスト者だったので、彼にとって歴史の終わりとは、即ちキリストの再臨による「最後の審判」を意味していた。彼はそれまでの間、何をしたものかと思案に暮れた。
 「再臨したキリストに回教徒や仏教徒が共存することを何と言い訳したものか、いっそのことドン・キホーテのように正義の旗を振りかざして他者を駆逐したものか、いや貧富の差を改善して住み分けを合議したものか」
 何もできぬまま、彼にとって窮屈な歳月が流れる。昨年は世界の各地で大津波や大地震や大洪水が起こった。いよいよ終末世界なのだ。彼の胸中は千々に乱れ始めた。
 「おお、神よ、我に勇気を与え給え!」

 K大統領は窮屈な初夢から目を覚ました。朝の食卓には、アルコール飲料とレトルト食品が準備されていて、それらはかつてある国でお屠蘇、お雑煮と呼ばれた食物に似ていた。

  
青森県医師会報 平成18年 1月 新年 512号・新春文芸ページへ掲載


 目次に戻る





                                                             

     

1 1