私のルネサンス!                目次に戻る


 市立図書館で学芸員を務めるK子さんは今日も書庫で忙しくしていた。実は、今年の「読書週間」について企画書を提出するよう館長に言われて頭が痛いのだ。しかも、その頭が痛い原因の奧に、もっと根源的な問題があったのだ。
 K子さんの父は教師で、中学校の校長まで勤めた人物だ。K子さんの教育にはことのほか厳格だった。K子さんは、「社会のお手本となり、人々を教え諭すような優秀な人間に成りなさい」と事ある度に諭されて育ったのだ。K子さんは、父親の期待に応えようと努力するほど、行き場のない閉塞感に包まれるので、自分は何処かおかしいのかも知れないとさえ思ってしまうのだった。
 K子さんは幼少の頃から、たくさんの本を買い与えられ、それを玩具のようにして遊んでいたし、楽しいストーリーも難しい漢字も本から学んだ。青春時代は、漱石、芥川、太宰、誰それの人生論、詩集、歌集などの乱読で過ごした。既に「文学少女」の趣十分なのであった。W大学文学部へ進むと、教職よりも学芸員への道を志したのも当然であったし、卒業後は市立図書館の学芸員として就職できた。傍目には順調であったのだ。K子さんは、この仕事を通じて、このまま探求的な求道的な読書を続けていけば、「人が生きる意味は?目的は?」、「自分とは何か?」、「自分がこの時この境遇に生まれた理由は?」などの答えが得られ、「社会のお手本となる優秀な人間」になれるはずだったのだ。
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 図書館の書庫には、日本文学、外国文学、哲学、東洋思想、宗教、自然科学、医学など、いろいろなジャンルの書物が整然と並べられていた。そこは、K子さんにとって仕事場であるとともに、自身の書斎であり、学びの場であり、小宇宙であった。K子さんは、厖大な書物の海原へ降り立つと、ギリシア哲学、聖書、コーラン、原始・大乗仏典、孔子・老子・荘子など錚々たる読書遍歴へと漕ぎ出したのだった。
 しかしながら、3年、5年と月日が過ぎても、何かが分かるどころか、読めば読むほど、今までの自分勝手な価値観や世界観が次々と崩壊して行き、混迷は深まるばかりなのだ。頭の中を数多の観念が行きつ戻りつするばかりで、それでいて自分は何も変わっていないのだ。人間の不完全な脳にはそれ位しか許されていないのかな?究極の真理とか、仏の悟りとか、安心立命とか、自分の読書では届かないのかな?これじゃ「社会のお手本となる人間」だなんて、とても及ばない。このまま人生が終わっちゃう・・・
 K子さんは、日暮れて道遠しの感が募り、途方に暮れるばかりだった。

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 企画書の提出が近づいたある日、K子さんは自身の気の向くままに本を選び出して自宅に持ち帰った。家族との夕食を済ませると自分の部屋に籠もった。書物を机の上に山積して思案を回らしても、やはり良い案は浮かばないのだ。K子さんは、日頃の疲れも溜り、つい居眠りに落ちて夢を見始めた。
 その夢は、机上の山積みの書物から伝わって来るようだ。
 まず、ギリシャ神話の世界から「イカロスの失墜」の場面が現れた。人間の子であるイカロスは、鳥の翼を蝋で背中に貼り付けて、自由自在に空を飛べるようになった。やがて自らを過信して傲慢になり、太陽神ヘリオスに向かって飛んで行く。しかし太陽神の熱で蝋が融かされ墜落して死んでしまう。有限な人間が分限を超えて神に近づこうとすれば、滅ばされるのだ。
 次に、「老子・荘子」の世界が現れた。老人が一人居て、大地に吹く風の音を聞いている。「人為の分別を去って、自然と同化せよ」(無為自然)と言っている。
 次に、ヘッセ「シッダールタ」からシッダールタが現れ、大河を眺めている。彼は「読書と思索の生活でさえも心を成長させることはない。人生をあるがままに受け入れ、悟りを得ようとせず、心の平静を保ちなさい」と諭すのだった。
 最後に、キリスト教徒であるパスカルが現れ、「パンセ」を開いて「人間は考える葦である」という名言を指し示している。人間の理性には限界があると知ること。葦以上の何かに成ろうと無理してはいけない。広大無辺の宇宙と競い合うような不遜な努力をせず、自分は「運命に従順な一本の葦」であると知れば、生きることは楽しいのだ、そう語っているように見えた。

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 K子さんは目覚めた。そして考えた。
 「哲学・宗教」の形而上の書物は、自分に「語りえぬもの」について際限なく語ってくれた。自分はその中にいて、人間としての分限を超えた問いを求めて手が届かず、嘆息していたのかも知れない。こんな事していたら人生が終わってしまう。形而上の読書から人間中心の読書にもう一度立ち戻ろう。それが人間としてより良く生きることに繋がるのじゃないかしら?
 ふと見渡せば、自分の部屋の本棚には、忘れていたお気に入りの本たちが並んでいる。
 アンデルセン「即興詩人」(森鴎外・訳)。確かこの中の「ベネチアのゴンドラ」から、「いのち短し恋せよ乙女、紅き唇のあせぬ間に、熱き血潮の冷えぬ間に、明日の月日のないものを〜」という「ゴンドラの唄」が作られたのだ。
 与謝野晶子「みだれ髪」は、近代短歌を人間解放の歌声として定着させたのだ。かつて「おごる黒髪」や「やは肌のあつき血汐」の言葉に心をときめかしたのではなかったか?
 俵万智「サラダ記念日」に出て来る、缶チューハイ二本飲んだぐらいで「嫁さんになれよ」なんて言ってしまうような男子を探してみようか?そうだ、読書週間が終わったら、館長さんを説得して有給休暇を纏めて貰って、ベネチアへ行ってみよう!
 K子さんは部屋からテラスへ出ると、満天の星座を眺めながら夜半の空気を胸一杯に吸い込んだ。
そうだ!読書週間のキャッチ・フレーズはこれにしよう、「私のルネサンス!」

           青森県医師会報 平成28年 2月 633号 掲載


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