簡単な答え                         目次に戻る


 W大学通りの古書店「竹賢堂」の店主Kさんは今日も読書に耽(ふけ)っていた。 その店は、間口が4間(けん)、奥行きが8間、その突き当たりに三畳の小上がりがあって、そこに小振りの文机を置いて、彼は座っていた。
 Kさんは幼少の頃は、父親の始めた「竹賢堂」の店先で本を積み木のようにして遊び、楽しいストーリーも難しい漢字も本から学んだ。W大学文学部へ進学したときは、その開講の辞の一番に教授からこう告げられた。
「立身出世をお望みの方は、よその学部へ行ってください。ここはそういう所ではありません」
 もちろんKさんは、それを当然のこととして学び卒業した。父の仕事を見て覚え、その後を継がない理由はなかった。一時期、小説を書いてみようとも思ったが、店内に立ち並ぶ東西の古典を見上げれば、とても太刀打ちできる筈(はず)もなく、小説家への夢は膨らまなかった。
 Kさんは同業の家庭の娘さんと知り合い、見初め合って結婚した。従ってKさんも奥さんも、その後の生活に変わりはなかった。「竹賢堂」の前を往来する人たちは、立身出世のため、より豊かな生活のため、それぞれの生業に一所懸命でいた。Kさんたちは、贅沢を望まなければ十分食べて行けたし、名誉を望まなければ余計な苦労は要らなかった。Kさんは、古書店組合の競売に出掛けて稀覯本を手に入れようという気持もなかった。彼は商人というよりは学究のようであり、妻もそれで良しとしていた。Kさんの娘たちは順調に育ち、それぞれサラリーマンの家に嫁いで行った。Kさんたちに、まさかと思うほどの幸運もなければ、ひどいと思うほどの不運もなく、平穏な生活が続いて来たのだ。
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 では、そんなKさんが、これまでどんなことを考えて来たかというと、それはおよそ次のようであった。
 「竹賢堂」は専門に偏らないことを旨として来た。従って、店内の書棚には、日本文学、外国文学、東洋思想、哲学、宗教、自然科学、医学など、いろいろなジャンルの書物が所狭しと並び、通りまで溢れていた。店はKさんにとって仕事場であり、自身の書斎であり、学びの場であり、小宇宙であった。
 Kさんは、青春時代に漱石、芥川、太宰治、ドストエフスキー、誰それの人生論などを中心に乱読を始めた。このまま探求的な読書を続けていけば、「人が生きる意味は?」、「自分とは何者か?」、「自分がこの時この境遇に生まれた理由は?」などの答えが次第に得られるものと思ったのだ。
 しかし、Kさんはある日ふと気付いてしまった。自分の一生の持ち時間すべてを読書に費やしても、世界にある本の1%も読めないのだ。仕方なく読む本を厳選して、その順番を決めざるを得なかった。それで、古今東西、世界の人々が読み続けてきた「世界の名著」と言われる本から順番に読むことにしたのだ。なるほど、店内を改めて見渡してみると、父が買い揃えた、筑摩世界文学大系、中央公論社「世界の名著」といった横綱たちが、既に店一番の上座に勢揃いしているではないか!
 その頃からKさんはこれらの「名著」を片端しから読み始めた。つまり、ウパニシャッド、原始・大乗仏典、ギリシア哲学、聖書、コーラン、孔子・老子・荘子から始め、錚々たる読書遍歴へと乗り出したのであった。そこで出合う偉人たちは、世界史の過酷な運命の中にあって強烈な個性を輝かせていた。彼らは、本を開けば眼前に立ち現れ、今そこに生きて居るかのように熱く、兄や従兄のように親しく、Kさんに語ってくれるのだった。Kさんは、学者ではなかったので、他者を正確に説得する必要がなく、自身が納得しさえすれば良かったので、こういう読書は楽しいものだった。
 ところが、10年が過ぎ、20年が過ぎても、何かが分かるどころか、読めば読むほど、今までの自分勝手な世界観が次々と崩壊して行き、混迷は深まるばかりだった。自分が何を為すべきか分からなくなるし、自分の足が地に着くことがなく、自分は何も変わって居ないことに気付かされるばかりだ。究極の真理とか、仏の悟りとか、安心立命とか、自分の読書では届かないのだ。Kさんは途方に暮れ、「人生の答え」を諦め始めた。
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 ある日、Kさんはいつもの簡単な昼食を済ませると、午睡しようと思い、畳の小上がりで横になった。その辺の横積みの本を適当に数冊引き寄せて枕にすると、すんなり眠りに落ちてしまい、夢を見始めた。その夢は、Kさんの頭の下敷きになった数冊の本から伝わって来るようで、偉人たちがまるでスライドショーのように現れては消え去るのだった。
 Kさんは、夢の中で、「老・荘」の世界に居た。大自然の中に老子が一人居て、大地に吹く風の音を聞いている。「人為の分別を去って、あるがままの自然の笙笛を聞きなさい(無為自然)」と言う。
 ゲーテ「ファウスト」のファウスト老翁が現れた。彼はあらゆる学問を修めても満足できず、自分の魂と引き替えに悪魔メフィストフェレスから二度目の人生を得る。波瀾万丈の出来事の最後に、「止まれ!全てはあるがままで美しい」とつぶやき、天に昇った。
 無量寿経の仏教僧が現れて、「あなたの心がそのまま仏なのです」と言う。
 スピノザが現れて、「もし、空中に放り投げられた小石に意識があったなら、彼は自分が自由な意志で空を飛んでいるのだと勘違いするだろう(人の体は勝手に動いているのです)」と、手紙に書いている。
 神経解剖学者が現れて講義を始めた。「人間には知覚神経と運動神経があり、両者の間に挟まった神経細胞ネットワークが迷宮をもたらしているのです。この中をさまよっても永久に何も結果は出ません」と述べる。
 ヘッセ「シッダールタ」のシッダールタが現れ、大河を眺めながら言う。「人生は大河のように一体であり完全です。読書と思索でさえ心を成長させることはありません。人生をあるがままに受け入れて、悟りを得ようとせず、心の平静を保ちなさい」と言う。
 さらに、店内の古典たちが次々と語り始めたので、夢の中は騒然としてきた。
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 枕にしていた本が崩れて、Kさんは夢から覚めた。寝ても覚めても、多数の観念が頭の中を往来するだけで、人生が過ぎていく。そして永遠の眠りに入れば、夢見ることも無くなるだろう。大脳の中に閉じ込められた自分にはそれ位しか許されて居ないんだ。
 Kさんは通りへ出ると、暮れなずむ夕日を胸一杯に吸い込むかのように、大きな背伸びをした。「夕日が見える」、「通りの喧噪が聞こえる」、「雑多な匂いがする」、「肌に外気が心地良い」、「明日も思い悩む程の予定がない」。
 Kさんは呟いた。「あるがままで。これが人生の答え?簡単な答えだ・・・」

     青森県医師会報 平成27年 3月 622号 掲載


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