釈迦とムハンマド                目次に戻る


 
西暦20××年。「バーミアンの石仏が爆破された」、「仏教徒がイスラム教徒を襲撃した」などのニュースを聞いて、釈迦は耳を疑った。極楽浄土に憩いほぼ2500年が経つ今になって、想像だに出来ないことであった。地上で何が起こっているのか!弥勒菩薩が衆生救済のために下生するのは56億7000万年も先のことだ。すぐさま釈迦は娑婆へ向かった。
 娑婆に降り立った釈迦は頭を抱えた。人口が爆発的に増加し地球はギスギスしていた。キリスト教徒を凌ぐ勢いのイスラム教徒が、居住地をめぐって、仏教徒と衝突したのだ。衆生が悟りを得る早さよりも、人口増加の方が早かったのだ。
 釈迦は、とうの昔に108つの煩悩から自由になっていたが、今回は煩悩を一つだけ自分に許すことにした。つまり「義憤・公憤」に駆られた釈迦は、事態打開のためイスラム教の預言者ムハンマドに会見することを決意し、天に昇ったのだった。
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 釈迦は、ムハンマドに対峙すると説教を始めた。
 アラー神の預言者であるムハンマドよ、良く聞きなさい。私は、かつてバラモン教の神をも否定することでこれを超え、仏教を樹立したのです。それから2500年が経ち、アラー神をも否定しなければなりません。私は次の「三法印」を説きました。つまり、人は、「諸行無常」(全ては常に変化していて留まることがない)および「諸法無我」(全てに実体としての我はない)を知ることによって、「涅槃寂静」(煩悩を去った安らかな境地)に入ることができると説きました。つまり、あなたもこの教えによって、「主なるアラー神でさえも不変でなく実体が無い」と知れば、アラー神から自由となり、「涅槃寂静」へ入ることが出来るのです。
 ムハンマドは、それに応えてこう語った。
 釈迦よ、あなたは稀代の哲人であって、神ではありません。神は唯一アラー神だけなのです。あなたが今日ここに来られ、そのような説教をされることも、全て予めアラー神によって定められ「書かれていた」ことでした。全ては「コーラン」に絶対服従です。「コーラン」はアラー神の声であって、変更することは一字たりとも絶対に許されないのです。仏教徒は絶対ということがなく、全てに寛容です。寛容(な仏教徒)は、不寛容(なイスラム教徒)に対しても寛容でなければ、寛容と言えません。仏教徒は居住地をこちらに渡すのが寛容というものです。
 さて、アラー神による「最後の審判」がいつ来るか分かりません。あなたは異教徒だ、地獄に落ちぬよう、早く娑婆を去られるのが宜しいでしょう。
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釈迦は極楽浄土に戻られた。蓮の上に座って、さっきの会見を思い返していた。
「私もムハンマドも、薄い垂れ幕を間に挟むかのようにして、互いに体面を保った。私にとってこの会見は意味が有ったのか、すれ違いだったのか?もし、この先いつまでも衆生の脳に進化がなければ、その脳による結論はいつまでも有神論(イスラム教など)と無神論(仏教)の対立だろう。地上の衆生は寛容を捨てて対立を選ばざるを得ないのか?」
 いずれにしても、釈迦はその役割を終えたのであり、再び全ての煩悩から自由になると、涅槃寂静にお戻りになられたのだった。

     青森県医師会報 平成26年 5月 612号 掲載


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