永遠の異邦人                   目次に戻る


 W大学文学部仏文科の学生K君は、要領良く生きている友人たちの中に居て、いつもどこか居心地が悪かった。そんな心境で受けたある日の講義で、「不条理」という言葉を初めて聞くと胸騒ぎがした。K君は、代表的な不条理文学であるアルベール・カミュ「異邦人」の文庫本を買い求めると、学生アパートの自室に閉じこもった。「きょう、ママンが死んだ・・・」の書き出しで始まるこの短編を一気に読んでしまうと、頭がグラグラするだけの衝撃を受けたのだ。その荒筋は以下の通りであった。
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 主人公の仏人青年ムルソーは、北アフリカの灼熱の町アルジェに独居する独身の勤め人だ。彼は、唯一の肉親である母の訃報を受けて、辺地の養老院へ出掛けた。母の棺の前で煙草を吸い、その通夜で涙をこぼすことがなかった。葬儀を済ませた翌日は、町に戻ってかつての恋人と喜劇映画を見に行き、その後は彼の部屋で一夜を供にした。翌日からもいつもと同じ平凡な勤め人の生活が始まった。
 ある日、ムルソーの同宿の友人が、アラブ人女性との痴話喧嘩の末、彼女のアラブ人兄弟と刃傷沙汰を起して、つけ狙われてしまう。その日、ムルソーは、白昼の灼熱の砂浜を散歩していて、そのアラブ人たちの一人と出くわしてしまった。不気味なアラブ人はナイフを抜いた。ムルソーは、頭上の太陽の圧倒的な光が眩しくて、ポケットの中の短銃を握りしめた。ナイフに反射した光が彼の目を射貫いたとき、彼は銃の引き金を引き、アラブ人は死んだ。
 幸福な沈黙が破れた。彼は逮捕され、周囲の人々は悔恨の姿を期待し、彼の行動を意味ある物語として理解しようとした。裁判が始まると裁判官らは、ムルソーが母の死に無関心であったこと、彼に人間的な道徳感情がないことを責め立てた。公判はムルソー自身とは無関係に社会通念に従って進行した。彼は、正直に答えるよう促されると、「銃の引き金を引いたのは太陽が眩しかったせいだ」と弁論した。裁判官は匙を投げ、判決はギロチンによる死刑であった。
 牢獄で刑を待つムルソーのもとに改悛司祭が来て、「罪を悔いて神の助けを信じましょう。永世の幸福を求めましょう」と説いた。ムルソーが「そんなウソ話は要らない」と応えると、司祭は当てが外れて自尊心を失い去った。ムルソーは独房の窓から夜空を眺めた。自然は本来的に彼に無関心であり、彼はそんな自然に接して心を開くと、「今までも、これからも、自分は幸せだ」と感じる。むしろ明日の処刑には大勢の見物人が集まって勝手に憎悪の叫びを上げることを望むのだった。そんな荒筋だ。
 つまり、仏人青年ムルソーが自身の五感と真情に忠実に生きて来たのに、周囲の人々はキリスト教を始めとする完結的な世界観やその時の社会通念によって彼を裁いたのだ。
 そう読み取ったK君の頭に、ある考えがひらめいた。立場をひっくり返して「もう一人の異邦人」と題したパロディーを書いてみよう。つまり主人公は、アラブ人の青年にして、灼熱の太陽が眩しくて不気味な仏人を射殺してしまう。彼がいくら自身の真情に忠実に証言しても、アラブの法によって裁かれ首斬り死刑の判決を受ける。イスラム聖職者が訪れて「アラー神の慈悲に従えば」と説教するが、彼はそれを拒否して死刑に臨む、そんなストーリーだ。
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 K君は「もう一人の異邦人」を猛然と書き始めた。しかし徹夜も二日目に入るともう限界だった。K君は、パロディー短編をパソコンに入力しながら居眠りを始めると、夢の中に落ちて行った。
 夢の中で、K君は太陽系のある惑星にいた。灼熱の砂漠を行くと、至近距離に一人の不気味な宇宙人が立っていて、ナイフを抜いている。K君は、寝不足の頭を錯乱させながら、迫り来る宇宙人に短銃を向けた。太陽からの強烈な直射光に目を射貫かれた時、銃弾を打ち込んだ。K君は法廷に引き出された。裁判官らは、心理学や脳科学などの既成通念を総動員した結果、K君に死刑判決を下した。K君は叫んだ。
「僕は不可解な存在だ。だが、僕は僕自身に忠実に生きて来たんだ。その結果、既存社会の中で孤独な異邦人になってしまった。そんな僕が間違いだと言うなら、勝手に死刑にするがいいさ!」
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 K君は目が覚めた。
 自分だって、いや誰だって異邦人なのだ。地球はいま境界が崩れ、全ての既成の社会通念が混沌とした中に失われつつある。全ての地球人が国際社会のどこに居ても一人ひとりが異邦人なのだ。
 それに留まらない。本来「不条理」とは、「人間存在の不可解さ」と「それを明晰に理解しようとする努力」との間に生じる軋轢だ。それを直視して、「不可解な自己に忠実に生きようとする人」は、本来的に孤独な異邦人なのだ。
 更に言えば、人間が「人間存在の不可解」について全ての英知を結集しても、未来永劫にわって理解し得ないなら、それが人間脳の構造的な限界であって、全ての人間は永遠に異邦人なのだ。
 K君は、パソコン画面の「もう一人の異邦人」という題名を削除すると、「永遠の異邦人」と書き替え、この短編の書き直しに取り掛かるのだった。

     青森県医師会報 平成25年11月 606号 掲載


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