K君は巡礼の旅に出ることにした
W大学商学部4年生のK君は、リクルートスーツに身を固め、東奔西走していた。しかし、この就職氷河期にあっては、いくら会社を訪問しても、何ら手応えが無かったのだ。
今日もK君は、いつもの会社訪問を終えると、本屋に立ち寄った。いつもなら経営コーナーへ直行して、「エコノミスト」などを立ち読みするのだが、もう今日は別のことをしようと思った。海外文学のコーナーに立ってみると、パウロ・コエーリョ作「アルケミスト(錬金術師)夢を旅した少年」という本が目に入った。作者はブラジルの人で、放浪の旅をしながらこの本を書き、いま海外のベストセラーになっているという。主人公である羊飼いの少年が、「ピラミッドの近くに宝物が隠されている」という夢を見たので、この夢を叶えようと旅に出るというお話だ。大人になっても、夢を諦めずに追い求めれば、夢は叶うのだ、というテーマらしい。大学の旅行サークルに入り、長い休みにはバッグパッカーとなってユースホステルを泊まり歩いたK君には、お馴染みの世界だ。近くのテーブルに腰掛けて少し読んでみた。しかし、日頃の疲れが溜まっているK君は、たちまち居眠りを始め、夢の世界に落ちていった。
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その夢の中で、K君は北アフリカの荒野で羊飼いをしていた。K君は、羊たちに水と食べ物を確保してやり、その代わり羊毛を手に入れるのだ。羊たちは、水と食べ物があれば満足し、K君の後について歩くだけで、行き先を自分で決めることがなかった。
若いK君は旅に出てもっと他の世界を知りたいという夢を持っていた。そんな道中でアラブの老人と道連れになった。その老人は信仰に厚く、迷うことがなかった。
老人は言った。我らには「コーラン」がある。そこには五つの義務が書いてある。それは、唯一の神であるアラー神のみを信じること。一日五回お祈りすること。ラマダンに断食すること。貧しい者に施しすること。そして、聖なる都市メッカに巡礼することだ。巡礼を叶えて帰れば、家の門に巡礼を終えた印を付け、成功者として誇らしい余生を送ることができるのだ。
老人は夢見るような顔で言った。あの聖なるカーバ神殿の石の広場に着いたら、その石に触る前に、仲間と一緒に神を称えながら、その石の周囲を七回廻るんだ。その至福の時をもう何千回想像したことか。そう言う老人の目には涙が溢れていた。老人は、生涯の夢であるメッカ巡礼を諦めることなく、荒野へ出て苦難の旅を続けていたのだった。
K君は夢を追う老人の姿に感動し、一緒に巡礼の旅に出ることにした。
老人は苦しむことがなかった。村に居た時の仕事よりも、夢を追う荒野の旅の方が楽しいのだという。K君は一緒に荒野を歩きながら、彼にいろいろ教えて貰おうと思った。K君には自分を苦しめているものがたくさんあったのだ。
まず第一に、K君は、「もっと上手に羊毛を増やして、父よりも豊かになり父を追い越さなければならない。今日より明日はもっと豊かにならなければならない」という期待に応えられず、自分に自信が持てないのだった。そうK君が話すと、老人は言った。アラブの荒野は、千年一日で変わることがない。ムハンマドの子はムハンマドで、その子もムハンマドだ。お前が何を言っているのか、ワシには分からんと言った。
第二に、僕の住んでいた欧米社会では、全て自己責任で生きていくので、僕らには勝ち組と負け組があるのです。一歩間違って負け組に落ちると二度と這い上がれないのではと、いつも心を砕いていて苦しいのです。そうK君がつぶやくと、老人は言った。アラー神が、行く道を用意して下さる。「前兆」を読んでそれに従えば人生を間違うことはない。運命に最後まで従うことを忘れなければ良いのだ。未来は、全てアラー神により「書かれている」のだ。既に運命が決められているのは良いことなのだ。そうすれば人間は今だけに生きられるからだ。ワシ等はよく「マクトゥーブ」と言う。それは「書かれている」という意味だ。この言葉の意味が分かるにはアラブ人に生まれなければならないのだよ、と老人は言った。
第三に、僕らの世界では、波乱万丈の人生を送れた人が最高に価値があり、僕のような羊飼いのありふれた人生は価値がないのだと思うと、気持ちが沈むのです。そうK君がつぶやくと、老人は言った。世界の歴史は神の手によって書かれている。個人の物語も同じ神の手によって書かれている。だから、心配はいらんのだ。
その他、K君は、巡礼の旅の中で、これから大きな会社に勤めて、たくさんの給料を貰い、美味しい食べ物や、豪華な家や、きれいな奥さんや、子供の高等教育や、世界中を旅行したいと思っていることなど、欧米社会の暮らしについて限りなく老人に話し続けた。
ついに二人はメッカに到着し、巡礼の旅は頂点に達した。二人は聖なるカーバ神殿へと歩みを進めた。広場は何万人のも敬虔な信者で溢れていて、口々にアラー神を称えながら、その石の周囲を廻っていた。しかし老人の顔には憂いの表情が浮かんでいた。
ワシは人生にこれ以上のことは望んでいなかった。お前はワシに、ワシが今まで知らなかった富と競争の世界を話した。ワシは、自分の過去の可能性に気付いてしまった。ワシは、もっと出来ることをやって豊かになることが出来たのに、やらずに自分の人生が過ぎたことを後悔するようになった。ワシは、お前に会う前よりも不幸になってしまった。お前は、悪魔だ!そう言って老人はうつ向いた。
K君は、この老人の子孫たちと、狭い地球をめぐって、やがて争うことになるような予感がした。信仰厚い人々の群れはぐるりぐるりと次第に速度を増して回り始め、ついにK君は老人を見失った。ああ目が回る!早くここから出なければ、出口はどこだ!
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K君は夢から覚めた。今はオフィス街の退社時間であり、書店は人だかりのピークだ。立ち読みしている客のあちこちによく老人を見掛ける。彼らは、終身雇用の会社を定年退職して、年金生活に入った人たちかも知れない。巡礼を果たした成功者のように輝いているのだろうか?それを誇りとして余生を送っているのだろうか?それとも、彼らは賃金の格差によってプライドを失った人々かも知れない。一部の勝ち組と多数の負け組の人々かも知れない。
K君はもっと遡って考えた。欧米社会は、「自由競争社会」という名のもと、実は秩序を失った群雄割拠の社会であり、人々が弱肉強食による格差で苦しむ社会ではないのか?人間は、物質的豊かさを追求して拡大再生産と大量消費を続けたら、有限の地球資源を枯渇させてしまい、生きていけないのだ。そんな基本的な掟(おきて)を壊してしまった社会ではないのか?
水と食べ物があれば満足し、行き先を自分で決めなくても良い羊たちの方が幸せかも知れなかった。それが永続的に生きていける方法であり、掟なのかも知れなかった。 そんな羊たちのように、アラブの人々は「コーラン」という掟に従って千年一日のように持続的に再生可能な生活を営々と成功させて来たのだ。富や競争の悪徳を眠らせることに成功して来たのだ。そんなアラブ社会に、欧米社会が自己制御を失って、利己の目的で入り込めば、アラブ社会は黙っていない。テロによる反撃が多発するだろうし、遠からず戦争になるだろう。そうなるのは自明の理だ。また、アラブ社会がこの悪徳に目覚めて自壊すれば、人類永続の方法が一つ失われてしまうのかも知れないのだ。
K君は、明日も会社訪問で面接に臨む。「当社志望の理由は?」と問われたら、「御社は飛躍的な発展を続け世界の繁栄に貢献し・・」と常套句を準備していた。でも、これからは何と答えたものか?K君は、作戦変更の思案に暮れながら、帰宅の電車に駆け込むのだった。
(参考:パウロ・コエーリョ作「アルケミスト(錬金術師)夢を旅した少年」角川文庫)
青森県医師会報 平成25年9月 604号 掲載