分かりやすい未来               目次に戻る


 西暦20××年、年末。K国家の高級官僚であるK氏はうず高い原稿の狭間で感極まっていた。多年を費やして構築した「国民総背番号に関する法律(案)」がとうとう通常国会に提出されるのだ。この法律は、社会保障と税制を一体にして改革するために必要不可欠な制度なのだった。
 この法律が成立すれば、国民一人ひとりに「個人番号カード」が交付される。そのカードのICチップには氏名、性別、生年月日、住所などが記録されていて、身分証明証、住民票、戸籍謄本、印鑑証明などとして使え、役所や法務局の書類手続きがワンタッチでできるのだ。更に、健康保険証、介護保険証としても使えるので、医療機関や薬局の窓口もフリーパスだ。年金手帳の機能もあるので年金事務所にも縁が無くなる。国民の所得を正確に把握するので確定申告や脱税防止にも役立つ。災害時の対策にも活用できるなど、公的サービスを展開するのに万能の可能性を秘めているのだ。
 K氏は更に夢を膨らませた。「個人番号カード」にインターネットとクラウドを組み合わせれば、このカードが電子カルテに変身するのだ。そうすれば病歴、画像検査、診断、治療、処方歴などが、全ての医療機関で全て一元的に管理でき、膨大な医療費が節減できるのだ。社会保障給付の向上から、医療・介護サービスの向上などまで、その長所たるや枚挙に暇がないのだった。

 毎夜のように続く残業のせいなのか、K氏の体調不良は極限に達していた。何か悪性の病気でなければ良いのだが・・・。とうとう彼は、この法律案のうず高い原稿の狭間に突っ伏すと、深い眠りに落ちて行き、夢を見始めた。
 夢の中は新年1月1日の朝だった。K氏宛に、年賀状と一緒に封書が配達された。その中には何処かで見たような「個人番号カード」が入っていて、通知書が添付されていた。それには、
「本年、貴方は、第13等級人間としての生存権が、K国家によって保証されます」
と明記されていた。K氏は知っている。この等級は、昨年一年間の労務の評定や、その社会的責任の重さや過去の業績などを基に、コンピュータによって点数化され、決定されるのだ。過去の戦争での勲章、議員バッジやオリンピック・メダルなども点数化される。
 善行した人はその度に役所に自己申告して評価点を上積みすることができるし、近所迷惑な人は地域を巡回する民生委員によって、イエローカードやレッドカードを渡され減点されてしまうのだ。平凡な人間の平凡な犯罪には少なめの減点が科せられた。
 そしてその年の大晦日までの総合得点によって、最高は15等級人間から最低はマイナス5等級人間まで区分され、翌年には等級に応じた国家保証を得るのだった。等級が下るに従って楽しくない生活が待っているし、最低のマイナス5等級人間には、人口爆発の防止も兼ねて極刑が待っているのだった。
 K氏は、パソコンの読み取り機に自分の「個人番号カード」を挿入してみた。個人情報は、本人が見て確認できる部分と、本人でも見ることができない部分とに分けられていた。高級官僚であるK氏はそのマスキングを外す手立てを知っていた。それで恐る恐る自分の電子カルテを開けてみた。
「診断:@胃癌。全身転移あり、余命6ヶ月。
    A遺伝子異常による難病の発現確率100%・・・ 」
 心配が的中した!K氏は全身が凍りついた。
 ふと気付くと何時の間にか、大勢の官僚たちがK氏の周りを取り囲んでいて、一斉にパソコンのキーボードを叩き始めた。そのサクサクとした音が燎原の火の如く拡散すると、全国民がK氏のカルテを開き始めた。大変だ!自分の情報が知られたら自分の社会的生命は終わってしまう。即刻食い止めなければ、自分はあっという間に下級に転落して、子々孫々まで二度と上級に這い上がることができないのだ!サクサクの音は耳を聾するばかりに膨張した。
 両耳を塞ぎながらK氏は忽然と気付いた。
「個人番号カード」は、上級者が下級者を支配するための恰好の道具となるのだ。それに気付かず、自分は精魂使い果たしてまで荷担してきたのだ。何てことだ!

 サラサラと原稿の山が崩れる音でK氏は夢から覚めた。我に帰ったK氏は、この法律案の原稿に更なる朱筆を加えるために、再び自分自身をムチ打つのだった。

     青森県医師会報 平成25年 1月 596号 掲載


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