K先生のシュールな出会い
大学の教養課程で哲学を担当するK先生は、主体と客体だの、精神と物質だの、ギリシアの昔から論じられて来た難しい問題を、営営と講義して来た。ところが最近論理の乱れを感じるようになって脳ドックを受診したところ、大変な結果を告げられた。脳腫瘍があって、それは摘出されなければならず、その手術は、正常な脳を傷付けないように覚醒の状態で行うのだという。その手術はトロント大学脳神経外科M.B教授が考案した覚醒下開頭術といい・・と説明が続くと、K先生はもう主治医に下駄を預けるしかなかった。
さて、その手術の時が来た。K先生は、手術台の上に横たわり、消毒された布で体をすっぽり覆われ、頭と顔だけが表に出ている。K先生の顔の上にはパラボラアンテナのような大きな無影灯が引き寄せられ、点灯され、手術が始まった。「K先生、起きて下さーい」と呼ばれ、深い眠りから無理やり起されたように目が覚めると、手術は既に重要な局面に入っていた。開頭され大脳が露出されて、電気メスが当てられているらしい。執刀医の質問が始まった。「脳のこの辺に触るとどんな感じですか?」「この辺では何か見えますか?何か聞こえますか?」「この辺ではどこか痛いですか?」と続く。電気メスの電流が強過ぎるせいなのか、手や足が勝手にピクピクするし、関係のない観念が突然勝手に湧いて来るのだ。一例を挙げれば、シュールレアリズムの詩人ロートレアモンの有名なフレーズだ。「手術台の上でミシンと蝙蝠傘が偶然に出合ったように美しい」
その時、何とその偶然の出合いが起きてしまった!引き寄せられた顔上の無影灯にピカピカした金属部分があって、それが鏡となって、K先生ご自身の大脳が映って見えるのだ!生温かいカスタードプリンのような大脳に出合ってしまったのだ!哲学者であるK先生にとってはこれを何と表現したら適切なのだろう。例えば、主体と客体が出合った。「見る自分」と「見られる自分」が出合った。脳の「表」と「裏」が出合った。「心」と「体」が出合った。精神と物質が出合った。精神的存在であるはずのK先生が、自分が物質であることを露骨に見てしまった。哲学者として数十年を生きた中で最大の事件だ。驚いている間もなく、次々と質問が出されるうちに、K先生は再び眠りに落ちてしまった。
次に目が覚めたのは、手術も終わって、「お疲れ様でした!」という執刀医の掛け声で、手術台からストレッチャーに移された頃だ。麻酔から醒めつつ、かすかな記憶のなかで病室へ帰ったK先生は、しかしあのカスタードプリンのような大脳だけは確かに記憶に残っていた。それは今まで構築して来た哲学的体系を根底から覆すほど衝撃的な出合いであった。手術台の上で何という出合いを果たしたことか!K先生は早速、講義ノートを書き替えなければと、新たな思索を開始したのだった。