西暦20××年、夏。地方出版社を経営するK社長は返本の山の間で溜息をついていた。若者の活字離れはいよいよ顕著で、彼らの読書といえばケータイで読むオンライン短編小説ぐらいのもので、しかもその内容はSF、ファンタジー、ホラーか学園コミックものばかりだ。かつて大学仏文科の文学青年として若き日を謳歌したK社長にとっては、忿懣やる方なしだ。真理探究の熱き血潮の若者は居らんのか!K社長は、狭いオフィスの中古ソファーに身を放り出すと、読みかけの雑誌を顔に被せたまま不貞寝を始めた。脚の壊れたソファーは彼の呼吸のたびに妙な揺れを招くので、K社長は宇宙遊泳のような浮遊感とともに眠りに落ちて、夢を見始めた。
その夢の中で、K社長はスペースシャトルのような宇宙船のファーストクラスに座っていた。時代は進み、K社長でも貯金を叩けば宇宙旅行ができる時代に入っていたのだ。彼はオプションとして、命綱一本で船外に出られる文字通りの宇宙遊泳コースも予約してあった。早速機内アナウンスが流れ、宇宙遊泳の参加者は宇宙服に着替えて乗降口へ集まるよう指示があった。K社長は、予行練習のかいあって何ら手間取ることなく装備を完了すると、真っ先に乗降口の列に並んだ。ここから先は乗降ドアが自動開閉するたびに一人ずつ順番に10分間だけ船外に出られるのだ。待ちに待った瞬間が遂にやって来た。顔前のドアが開くと、K社長は待ち切れずに思いっきりタラップを蹴って跳んだ。それと同時に、誰もがあっと息を飲んだ。あれほど繰り返して、あれほど口を酸っぱくして、耳にタコができるほど言われた「命綱を忘れずに」を忘れていたのだ!
時既に遅く、宇宙船から思いっきり飛び出したK社長は、一直線に一定速度で宇宙空間を移動し始めた。船体の窓から驚きの顔を向ける添乗員の姿が次第に遠退き、視野を被うばかりの巨大な宇宙船が、次第にミニチュア玩具ほどになり、やがて薬のカプセルほどになり、やがて銀河の中に紛れてしまった。旅行案内パンフレットに「宇宙空間での事故発生に対しては現在の技術力に限界があることを予めご了解の上ご参加下さい」という条文が小さい文字で記載されていたことを思い出した。つまり宇宙空間に転落しても救助できる技術力は今のところ無いという意味だとは理解していたが、まさか自分が宇宙の彼方へ漂流する破目になろうとは。ひょっとしてこのまま死んでしまうかも知れない?全身に戦慄が走った!
いや、これは冗談だ。何かの間違いだ。自分は今、悪夢を見ているのだ。悪夢ならじき醒めるさ。ひょっとして銀河鉄道に出合ってジョバンニやカンパネルラと友達になったりして。いや宇宙戦艦ヤマトに捕獲されてイスカンダルへ連行されたりして。ははは・・・。しかし転落したのがなぜ俺なのだ。一人先の乗客でも一人後の乗客でも良かったのに、なぜ俺なのだ?運命の女神を呪ってやる、畜生め!いや、神様仏様お願いです、助けて下さい。今まで決して立派な人物ではありませんでしたが、もし助けて下さるのであれば、何でもいたします。私の出版社で良かったら差し上げます・・・。もうどうでも良くなってきた。何をしても駄目さ。余りに遠くへ来てしまったのだ。思えば短い人生だった。せめて魂になって地球へ還りたいものだが、全く想像が付かない。魂が、真空の無辺大の空間をどうやって還れるというのだ。亡くなった自分のご先祖様たちは魂となって田舎の山河を逍遙しているのだと教えられてきた。そんな我が一族の中で、地球を脱出して宇宙へ来たのは自分が初めてなのだから、ご先祖様にすがったところで無理というものだ。お釈迦様たちのいる十万億土の西方浄土は何処だ?弥勒菩薩様の待機する兜率天は何処だ?もし自分がキリスト教徒かイスラム教徒だとしたらどうなんだ?。どだい信仰なんて地球の上での話じゃないか。この宇宙新時代にこそ次の新しい宗教が必要なんださ!
「咳をしても一人」なんて生易しい状況ではない。「ありったけの大声で叫んでも一人」なのだ。「二十億光年の孤独」という詩集があったなあと思ったら、いきなり最大級の孤独が襲ってきた。
さらに大学の卒論で読んだパスカルの「パンセ」の内容が脳裡に浮かんできた。
「私は宇宙の恐ろしい空間を見る。私はこの広大な広がりの中の一隅に繋がれ、なぜ他の所でなくこの所に置かれているのかを知らない。この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる。また、私が生きるべく与えられたこの僅かな時間が、なぜ、私より前にあった永遠の中でもなく、私より後から来る永遠の中でもなく、この時点に割り当てられたのかを、私は知らない。私はあらゆる方面に無限しか見ない。ただ一つ私が知っている全てのことは、私は死ななければならないことであり、しかもこの死こそが最も私が知らないことなのである」(パンセ)と。
もし自分が地球に居れば死んで地球の土に還るはずだった。しかし今の自分は宇宙塵となって宇宙と一体になってしまうのだ。今度は脳裡にウパニシャッドの説く「梵我一如」という概念が浮かんできた。大宇宙そのものである梵(ブラフマン)と、ちっぽけな自我(アートマン)とが同一であると思える心境だ。今はそれを無理やり納得せざるを得なかった。というのも宇宙塵となる時が結構早めに来てしまったからだ。突如流星群に遭遇したのだ!流星群は次々と大挙して自分の上に降りかかって来た。それらはなぜか四角い紙でできた物体であって、悉く「返本」の札が貼ってあった!
K社長は夢から醒めた。返本の山が崩れ、大量の本の下敷きになったK社長は体に擦り傷さえ負っている。しかし傷よりもっと辛いことがあった。それは、彼が死に対してまるで無防備であることだ。自身の存在に全く救いが無いことだ。その姿は「パンセ」の言う、信仰の無い者の悲惨な姿に他ならなかった。
青森県医師会報 平成23年 6月 577号 掲載