宇宙文化遺産

　西暦２０××年。地球を間近に望む宇宙空間に一艘の宇宙船が静止していた。その船内の会議室では選考会が始まるところだ。

【委員長】ただ今より「宇宙文化遺産」の選考会を開始する。元より我々は、「宇宙の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」に基づき、宇宙遺産リストの作成を進めておる。我々がこれまでリストに登録して来たこれらの遺産は、過去から未来へと引き継がれる貴重な宝物であることは言を待たない。例えば、昨年の選考会においては自然遺産として「木星の大赤斑」，「火星のマリネリス峡谷」などを審議し登録したことは記憶に新しいことと思う。今回の文化遺産の候補として、「地球に多数存在する建造物群」が推薦されている。本日我々は、これらをリストに加えるかどうか審議するために赴いたである。折しも、A、B、Cの調査隊長が相次いで「地球」から帰還したところであり、早速に報告を聞くこととする。

【 A隊長】報告します。我々は地球の上空を旋回し、サン・マルコ大聖堂、ノートル・ダム大聖堂、サン・ピエトロ大聖堂など、多数の大聖堂を確認しました。そこでは「キリスト教徒」と呼ばれる地球人たちが十字を切っておりました。

【 B隊長】報告します。我々は地球の上空を旋回し、タージ・マハル、トプカプ宮殿、アル・ハンブラ宮殿など、多数のモスクを確認しました。そこでは「イスラム教徒」と呼ばれる地球人たちが大地に伏して礼拝しておりました。

【 C隊長】報告します。我々は地球の上空を旋回し、ボロブドール寺院、アンコール・ワット寺院、敦煌莫高窟、平泉の中尊寺など、多数の仏教寺院を確認しました。そこでは「仏教徒」と呼ばれる地球人たちが合掌しておりました。

【委員長】他の星は絶景ばかりであったが、地球は大聖堂とモスクと仏教寺院が無数にある。そもそも一体どういう訳だ？

【 A隊長】はい。地球人たちには、宇宙の成り立ちと自分たちの何たるかを教え安息を与えてくれる「宗教」というものが必須なのです。これがないと生きていけないという不便な生き物なのです。これにら帰依するために地球人たちは特徴ある建造物を造り続けているのです。彼らは「群盲、象を撫でる」という言葉を使いますが、例えて言えば「宗教という巨大な象」を撫でながら大きな安息を感じているようです。それでいて、ある者たちは象の頭を撫でながら、またある者たちは象のお尻を撫でながら、それぞれ自分たちが一番よく象を理解しているのだと言い、自分たちの象が一番立派なのだと言って戦争をするのです。

【委員長】どういうことだ？具体的に説明したまえ。

【 A隊長】はい。キリスト教徒たちは唱えるのです。①宇宙全体が神であり、神の御心のままに万物は流転する。②人間は神に背いて、林檎の実を食べて小賢しい知恵を得たために、迷いの中に追放されている。③キリストによる償いによって原罪から救われ、④神に従い最後の審判を受け天国に入れるのだ、と。

【 B隊長】はい。イスラム教徒たちは唱えるのです。①この世に起こることは全て天地創造主アッラーによって予め定められている。②人類の祖であるアダムは神の怒りに触れ天国を追われた。③天使ガブリエルらによって導かれ、④「五行」の行いが良ければ最後の審判によって天国に入れるのだ、と。

【 C隊長】はい。仏教徒たちは唱えるのです。①宇宙は不生不滅で、因果応報に従って常に変化している。②人間は五感によって生じた誤った分別により煩悩の中をさ迷っている。③如来のお導きにより永遠の苦・無明・輪廻転生から救われ、④如来にすがって極楽に入れるのだ、と。

【委員長】何だ、三者とも同じ事を言っているではないか。元来宗教とはそういう構造のものなのだ。地球人たちはキリスト教もイスラム教も仏教も同じものだということにまだ気付いておらんのか。それなのに互いに排他的になって原子爆弾まで準備しているのはどういう訳だ。そもそも地球人たちは、開闢以来、大同小異ということを知らず、宗教戦争に明け暮れて来たのだ。今なお神仏の御名のもと、物と土地の奪い合いを続けているじゃないか。

【 A隊長】大変です！ただいま核戦争のボタンが押されたとの連絡が入りました。無数の原子爆弾で地球上の文化遺産が壊滅状態となります。バーミヤン石窟の爆破どころの話ではありません。直ちに止めさせましょう！

【委員長】いや。例え壊滅状態となろうとも、彼らの遺産は彼らの物だ。核戦争すらも彼らの歴とした負の文化遺産なのだ。残念ながら、地球人たちが滅んだ後に、我々は無人の遺跡を楽しむことになろう。戦禍の及ばぬうちに退避する。核物質であるプルトニウムの半減期は二万四千年であるから、少なくともその間は地球に近付くことはできまい。さらに自然環境の放射能レベルである4.0ナノシーベルトまで減衰するのには途方もない時間を要する。その時まで、この惑星に関する選考会議は延期とする。プルトニウムに名前を盗まれた冥王星（プルト）こそ好い迷惑というものだ！

　宇宙船は、次の候補地へと舳先を変え、ジェットエンジンを全開にして「地球」から去って行った。

　　　　　青森県医師会報　平成２３年９月　５８０号　掲載