姥 捨 て 山
西暦20××年。資本主義を過信した失政によって富は偏在し、格差は拡大し、社会保障は破綻していた。老い行く者の年金は先細りし、彼らのための医療費は削減の一途であった。昔から「姥捨て山」は富の偏在が一因であって、それはいつの世にも絶えることがなかった。
そんな社会状況の中で在宅医療に取り組むK先生には気になる本があった。それは深沢七郎「楢山節考」であり、その内容はおおよそ次の通りであった。
かつて信州の山間の土地に「楢山参り」という風習があった。それは、食糧に乏しいこの土地では、口減らしのために、老いた者はみずから決意して楢山の山中へ運んでもらい、そこで自ら餓死を迎えるという風習であった。
主人公の老女おりんは楢山参りの覚悟を決めていて、息子の辰平にそれを頼んでいた。孫のけさ吉に子が生まれようとする年越しの頃、おりんは楢山参りを決意した。
ある晩、山へ行ったことのある村人を招いて酒を振る舞い、そして楢山参りの作法と楢山への道順を教えてもらったのだ。
翌晩、おりんは辰平の背負った背板に乗り、人に見られぬように家を出た。山中に入ったらお互い物を言ってはならなかった。三つの山を越え七つの谷を過ぎて楢山の頂きに着くと、ギョッと驚いた。白骨が点々と転がり、カラスが死体を突っついていた。岩陰に降ろされたおりんは念仏を唱え、その顔には死相が現れている。雪が舞い始めた。辰平は、
「寒風に吹かれるよりも雪の中に閉ざされる方がいい。おっかあ、雪が舞って運がいいなあ!」
と叫ぶと、後ろを振り向かずに脱兎のように山を駆け下りて行った。
そんなストーリーであった。
往診の求めに快く応じるK先生は、生活時間が不規則で体調を崩しやすい。そんな時には夜ごと同じ夢を繰り返して見ることがある。以下はK先生の「夢五夜」である。
第一夜。K先生は夢の中で「楢山参り」の山道を登っていた。第一夜のK先生の背板にはいつも訪問診察に行く患者のAさんが乗っていた。Aさんは認知症が高度で意思の疎通がなく、そこへ来て自力で経口摂取ができなくなったのだ。家族は自然な経過で看取りをしたいと望み、K先生は末梢静脈からの補液のみで経過を診ていた。医療費も家族の負担も最小限であった。いま夢の中でK先生の背中に乗るAさんはとても身軽だった。家族が後ろから押して呉れるので、K先生は無理なく楢山参りを済ませることが出来たのだった。
第二夜。K先生は夢の中でまた「楢山参り」の山道を登っていた。今夜のK先生の背板にはいつも訪問診察に行く患者のBさんが乗っていた。Bさんも認知症が高度で意思の疎通がなく、自力で経口摂取ができなくなったのだ。家族はBさんの年金収入を頼りとしているため、出来るだけの延命を望んでいた。そう言う家族を世間の人たちは立派だと言っていたが、K先生は実情を知っているので心中は複雑だ。いま夢の中でK先生の背中にいるBさんには経鼻胃管の挿入に次いで胃瘻が造設され、中心静脈栄養も入っている。流動食やら点滴バックやら処置機材まで一緒に背負っているのでとても重い。危篤のたびに高額な処置や検査も随時必要とするため、レセプトは最大限の高額となり、K先生の白衣の財布も重くなり、支払基金はパンクしていた。家族までもが後ろにぶら下がるので、K先生は「自分が何でこんな役回りなのだ」と憤慨しながら楢山参りを務めるのだった。
第三夜。K先生は夢の中でやはり「楢山参り」の山道を登っていた。だが今夜のK先生の背板には診たこともない外国人のCさんが乗っていたのでK先生も驚いてしまった。楢山どころか、北欧のフィヨルドを見渡す高地を歩いていて、ここは高福祉国家だと言う設定になっていた。Cさんもその家族も訳の分からない横文字で話すので何を言っているのかさっぱり分からない。何という夢だ!ただ分かっているのは、Cさんも認知症が高度で意思の疎通がなく、自力で経口摂取ができなくなったということだ。それでK先生はCさんを山中にある公共の施設へ送り届けようとしている。その施設でCさんは聖職者の管理のもとに自然な餓死を待つという運命になっているのだ。そうすることで、決して豊かとは言えない国の医療費は最小限で済むのだった。
第四夜。K先生は夢の中でやはり「楢山参り」の山道を登っていた。今夜のK先生の背板には自分の母を乗せていた。そのあまりの軽さに泣きながらも歩みを進めざるを得なかった。認知症の母はK先生の名を小声で呼んでいた。K先生に命を預けたのだろう。K先生は父も兄弟も既に亡く、看取りは全てK先生が自分で決めるしかなかった。山道をどこまでもどこまでも歩き続けるうちに目が覚めてしまった。年のせいか薄暗いうちから目が覚めてしまうのだ。しかし今朝は奇妙な胸騒ぎがして、急ぎ母の部屋へ行くと、母は今し方K先生の名を呼びながら息を引き取ったところだった。
第五夜。K先生は夢の中でやはり「楢山参り」の山道を登っていた。今夜の背板には何とK先生ご自身が乗っていた。K先生は養生の甲斐あって長生きしたため背板にのるハメになってしまったのだ。みぞれの冷気が心肺を刺し、目を瞑るK先生の耳元に腹を空かせたワシ、タカ、トンビの鳴き声が迫る。八百万神(やおろずのかみ)は、この命を次の赤子に渡そうとしている・・・。
青森県医師会報 平成22年 6月 565号 掲載