ガレー船が行く               目次に戻る


 西暦20××年。アメリカで〇〇貿易商会を営むK社長はジャンボジェット機のエコノミークラスに座っていた。肥満の体を狭い座席に押し込んでいるので窮屈だ。シートベルトの他にまるで手かせ足かせまでも掛けられているみたいだ。機内の前方には二階へ昇る階段が見え、それを昇ったらファーストクラスだ。今度の商談を纏めたら、大枚をはたいて是非ともそちらへ座ってみたいものだと、いつもながら考える。機内は海外旅行を楽しむカップルや次なる商談に腐心する商社マンたちで満席であり、有り余る料理と高級ワインが飲み放題だ。高額ブランドの香水や貴金属が次々と売れている。機内の前方に設置された液晶テレビでは世界中のニュースが放映されていて、時折戦争の場面が映し出されても誰も見向きもしない。
 ジャンボジェット機が安定高度に達すると、K社長は機内サービスのビデオ映画を見始めた。ちょうど映画「ベン・ハー」が始まったところだ。主人公ベン・ハーが罪人におとしめられ、ガレー船の過酷な漕ぎ手にされる場面まで来たところで、K社長は居眠りを始めた。耳にしたイアホンの音声に導かれるままに夢の世界に入って行った。

 その夢の中はまさに映画「ベン・ハー」そのものであった。ローマ帝国は地中海を制覇せんと持ち前のガレー船団を駆使して次々と領土を拡張していた。夢の中のK社長は、そのガレー船の船底に無産市民として座り、力の限り艪を漕いでいるのだった。罪人におとしめられたベン・ハーも隣で黙々と艪を漕いでいる。情け容赦ない鞭の音に続き、手かせ足かせを掛けられた罪人たちの呻き声が響き、絶命する者が続出した。甲板の上では地中海貿易で儲けた商人たちや高級軍人たちが次なる富を夢見ていた。
「空飛ぶ鳥を見よ。蒔かず、刈らず、取り入れず」
とキリストがいくら口酸っぱく諭しても聞く者たちではない。彼らに富をもたらすためにこそ船底では過酷な労働が強制されているのだ。是非とも甲板の上に這い上がりたいものだと誰もが願った。突然、敵のガレー船がこちらの横っ腹に体当たりした。巨大な振動がガレー船を襲った。
「沈没だ!」
と思わず叫んで、K社長は夢から覚めた。ジャンボジェット機の車輪が滑走路に着地して、その振動が彼の肥満体を揺さぶっていた。

 k社長のジャンボジェット機はワシントンの空港に着陸した。K社長が機窓から地上を見降ろしていると、その機窓の直下、機体の脇腹で貨物室のドアが開いた。中から、星条旗に包まれた兵士の棺が沈黙のうちに引き出されて来た。最敬礼のなか、迎えの兵士に渡され、担がれ、厳かに軍用車に移されようとしている。国家の利益のために戦死した彼らはアーリントン墓地へ向うのだ。K社長はハッと気づいた。自分の乗ったジャンボジェット機がそのままガレー船と同じ構造だったのだ。

 かつての戦争は飢餓の国々の間で、少ない資源をめぐり、国を挙げて戦われた。しかし現代の戦争は、飽食の人々とそうでない人々との間で行われている。ビジネス力学の勝者とその犠牲者との間で。しかも飽食の人々は、
 「大量消費を至上とする自分たちのライフスタイルが戦争を支えている」
ということに気づいていないのだ。彼らにとって、戦争は遠いところで誰かが何故か続けているものなのだ。

     
青森県医師会報 平成22年3月 562号 掲載


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