K君に赤い紙が                       目次に戻る


 西暦20××年、夏。大学生のK君は二日酔いの朝を迎えた。昨晩、ヒップホップサークルの追い出しコンパで痛飲してしまったのだ。学生用ワンルームマンションに住むK君は、ベッドを降りて玄関ドアへ行き、郵便受口から朝刊を引き抜いた。連日、就職活動に駆け回るK君にとって、最新のニュースは欠かせないのだ。しかし、ベッドに戻ったK君は再び睡魔に襲われ、不覚にも二度寝の沼に沈んで行った。二日酔いで痺れる頭の中は、夢も現実も、米国も日本もごちゃ混ぜだった。

 その夢の中で、K君はアメリカの町に住み、就職活動の真最中だという設定になっていた。彼は手にした朝刊を広げ、見出しの拾い読みを始めた。
 【第一面】「世界同時不況で、格差拡大が加速!」
 この見出しに続く論旨は次の通りであった。
 「米国政府は、持ち前の新自由主義を急速に拡大させ、本来国の大事な役割である教育や社会保障の予算を削減し、かつその責任を放り出して民営化して来た。また政府は、富裕層をより優遇するために規制を緩和して、富の分配を自由競争の市場原理に任せて来た。それは即ち、活性化の名の下に、国民を弱肉強食の生存競争へ突き落とすことであった。必然的に富裕層と貧困層の格差は急激に拡大し、中間層も貧困層に転落し、いくら働いてもそこから抜け出せない人々が急激に増加している。世界同時不況が更にこれに拍車をかけている。経済大国日本も、米国の後を追いかけて貧困大国日本に墜落中である。貧困率一位は米国、二位は日本だ。いま貧困層に残された生きるための道はただ一つ、軍隊への志願である!」
バイトに明け暮れる金欠病のK君は、まるで自分のことを言われているようだ。
 【社説】「若人よ!独裁者に民主主義を知らしむるは米国の正義なり、戦え!」
と続いている。それを当然と考えて来たK君だが、今度は考えた。この社説を書いたのは誰だ?世界のマスコミ界を牛耳っているのが誰なのか忘れてはいけない。大資本家たち富裕層なのだ!何のための軍隊だ?世界史を見れば、神と邪宗の戦いだ、正義と悪の戦いだと叫びつつ、していることは土地と物の奪い合いじゃないか。それも富裕層ばかりが得をして貧困層が犠牲になる。この上さらに貧困層が軍隊に入って、富裕層の富を守るために命を賭けろというのか!そもそも最近戦争をしているのは国家対国家ではなく、戦争請負会社とグローバル人材派遣会社であり、これらの大企業を支えているのは、大量消費を至上とするわれわれのライフスタイルなのだと言う。格差があればもはや徴兵制度がなくても戦争ができると言うではないか。
 【経済面】「不況下こそ戦争は最高のビジネスだ!」
 K君が内定をめざす△△重工業は戦争に役立つ製品をいろいろ製造しているのだ。
「不況下でも戦争請け負い多国籍企業は好景気!政権中枢へ献金続く!」
 就活に出遅れるK君を尻目に、有名大学に通う友人たちは多国籍企業から早々と内定を得ているって!
 【社会面】「成績の悪い学生を軍隊がリクルート中!」
 K君は真っ先に勧誘されてしまう。
 【広告欄】「奨学金の返済に困った学生は軍隊へ」
 「軍隊で給料を貰い資格も貰おう!」
 K君は資格もないし卒業後の学資ローンの返済が大変なのだ。
 【募集欄】「テロと戦う貴方の勇姿が彼女のハートを射止める!」
 もし自分が軍隊に志願したら、憧れのナオミさんがこっちを向いてくれるかも知れない!
 【求人欄】「運転手募集(派遣社員)、軍事物資の輸送、超高給優遇(職場は非戦闘区域とは限りません)」
 引っ越しや宅配のバイトをしてきたK君にとって、これなら打って付けだ。何も兵士として行く訳じゃないし、まあいいか?
 突然、ドスッと鈍い音がした。目覚めたK君が顔を上げると、玄関ドアの郵便受口に赤い紙が押し込まれて来た。赤い紙?
「赤紙!」
 彼は日本の戦争ドラマを見て知っている。愛し合う二人の運命が、赤い紙の召集令状一枚で、無惨に引き裂かれて行くのだ。彼の胸の鼓動は、ザック、ザック、ザックという軍靴の響きと呼応して高鳴った。甲種合格、学徒出陣、入営。K君の眼前に思わぬ空想が展開した。イラクやアフガニスタンのような異境の戦地でゲリラに襲撃され、焼け焦げになった兵士の映像だ。太ったK君によく似た遺体の脇には、焼け落ちた星条旗と日の丸の旗が写っている。K君は息を呑んだ。
「思えば短い人生だった」
 彼は思わず叫んでいた。
「ナオミさん、さようなら!、お母さん、先立つ不孝をお許し下さい!」

 K君が、寝ぼけ眼(まなこ)をゴシゴシやりながら恐る恐る赤紙を引き抜いて見ると、その赤いチラシには、
「脂肪たっぷりのマクドナルドハンバーガー100円引き!」
などの魅力的な文字が躍っていた。貧困大国では肥満は貧困の象徴なのだ。
(参考:「ルポ貧困大国アメリカ」堤 未果)

     青森県医師会報 平成21年10月 557号に掲載


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