最後の革命                           目次に戻る


 キューバ社会主義革命に身を投じた若き医師チェ・ゲバラの革命と別れを描いた映画が好評を博していた。K院長先生は、この映画を見て帰宅すると、自分自身の半生を想い返していた。
 昭和××年春、高校を卒業し田舎から上京した若きK君にとって、東京は驚くことばかりだった。労働組合活動に賭ける男の希望と挫折を描いた映画や、既成社会を拒絶してアウトローに走る若者の輝きと滅びを描いた映画などを見て、魂消てしまった。太宰治だって上京したばかりの頃に左翼運動に走って挫折したというではないか。また、K君は新宿の「歌声喫茶」に行ってみた。そこにはロシア革命に憧れる若者が、共にロシア民謡を歌って胸を熱くしていた。K君は、「蟹工船」や「資本論」の文庫本をポケットにねじ込んだり、「ゲバラ選集」を立ち読みしたり、わざとカーキ色の兵士服を着たりした。革命を夢見るのは若者の特権なのだ。

 その頃、K君の通うW大学では、革マル派が学生自治会を占拠して、他派との対立抗争を激化させ、ついにリンチ殺人事件を起こすに至った。沈黙していた無数の一般学生が、「革マル出て行け!」と澎湃たる抗議の声を揚げて、ついに立ち上がった。その日、自然発生した一般学生の集会は数千人にも膨れあがり、革マル派学生の吊し上げへとエスカレートした。逃げ惑う彼らを一般学生が雪崩を打って追い始めた。その中にはK君も居たのである。ぎりぎりまで待機していた警視庁機動隊は、革マル派を保護すると同時に、一般学生に向かって集会を解散するよう警告を始めた。その時、K君の隣にいた学生が「機動隊帰れ!」と叫んで投石した。指揮官は指示棒をK君の方へ向け、「公務執行妨害罪で逮捕する!」と拡声器を通して号令を発した。一瞬の後、K君は、震え上がってとっさに腕組みをしている自分自身の姿を発見した。一度でも牢に入ったら就職も将来もなくなるのだ。K君は全身で必死に訴えていた。「私は何もしていません!」そんな自分の姿に落胆してしまった。K君は、その時から踵を返すごとく、革命家ごっこを止めてしまった。

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 K君は医師となって故郷に帰る道を選び直した。再入学したA大学医学部を卒業すると内科へ入局して勤務医となった。ある関連病院の勤務が長くなって医局長を拝命した頃、職員の配置転換に起因する労使紛争が起こった。広域労働組合の闘志らが介入したため、病院にはストライキを煽動するプラカードや赤旗が林立し、宣伝カーが集まって来た。K先生は職員との団体交渉に臨んだり、院長と共に、地方労働委員会による斡旋・調停・仲裁に列席した。もはやK先生は紛れもなく体制側の人間であった。こんなことで病院がひっくり返ったら皆が不幸だ。もし現代の日本がひっくり返ったら、不幸の方が圧倒的に多いのだ。万世一系の日本に革命などあり得ない。日本人にとって革命は、甘美な響きを持った物語として、映画の中にあるだけなのだ。かつてキューバという名のボートが転覆したことはあっても、現代の世界でタイタニック号が転覆することはあり得ない。もはや世界史上に革命はあり得ないのだ。K先生はそれを微塵も疑わなかった。

                  ☆

 映画館の雑踏で疲れたK先生は、書斎の机上にうつ伏して眠りに落ちると、夢を見始めた。その夢の中では、K先生は、ゲバラの足跡を追って南アメリカの山岳地帯にいた。彼は神出鬼没のゲリラ戦術を得意とするカリスマ革命戦士だ、という設定になっていた。迷彩服に身を包んで地上にうつ伏し、顔には見事なゲバラ髭を伸ばして葉巻をくわえ、南米大陸に革命の成就する夢を追っているのだ。ただ、ゲバラの革命と違うところは、敵が、かつてのアメリカ帝国主義ではなくて、「アメーバ・インターナショナル」みたいな得体の知れない名前の敵で、南米どころか全世界を呑み込んでいる世界屈指の多国籍企業だというところだ。その企業は、哺乳ビンから戦車や原子爆弾まであらゆる物を製造販売していて、世界の経済界を牛耳っているのだ。その最高経営責任者が誰なのか誰も分からない。やがてこのK革命戦士は、企業と政府の陰謀によって命運尽き、負傷し捕縛されてしまった。辺鄙な山岳地帯の粗末な小屋に拘置されると、発信者不明の指令が無線機に届いた。「処刑せよ」。ドンと、山岳地帯に銃声が木魂した。

                  ☆

 ドンと、机上からケータイが床に落ちた音で、K院長先生は夢から覚めた。半睡の頭でこの夢の意味を考えていた。あまたの多国籍企業は、アメーバのように国家の歯止めをスリ抜けて、居心地よい国に移り棲み、利潤のある国を食指で呑み込み、強欲の塊となって成長する。たとえ大国でもそれを止められず、多国籍企業に去られたら大国でも力を失い崩壊する。もしこのまま、多国籍企業による歯止めなき資本主義競争が放置されれば、地球はこれらの企業によって占拠され、圧倒的多数の人々がその巨大な支配に苦しむだろう。それが極限に達した時、世界史上最大の最後の革命が勃発するのだ。それは、支配者も被支配者も、史上最大の犠牲を払わずには済まないのだ。たとえ歴史家や経済家がこの夢を噴飯ものだと笑い飛ばしても、K先生は「革命なし」を疑わずには居られなかった。

     青森県医師会報  平成21年5月  552号に掲載


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