「不幸の匂い、お気付きかしら?」
と誰かがささやいたような気がした。K氏は、枯葉舞う雑踏の中でふと振り返った。家路を急ぐ人々の群れに変わりは無かった。K氏は、空耳だと思いつつも、不幸の匂いは本当かも知れないと、自分のコートを嗅いでみた。
ひとりっ子であるK氏は、工学部を卒業すると、父の創業した小さな町工場を継いだ。折良く高度成長の波に乗って、経営は順調であった。身持ちが良く、良い家族に恵まれていた。かつて何ら不幸の種は見当たらなかったのだ。
それから時が経った今、K氏の体力気力に少し陰りが差し、自分の盛時が過ぎたという気持ちが拭えぬものとなっていた。かつて爪に火をとぼして苦労を重ねた父は、痴呆症が始まり、既にK氏にとって恐い存在ではなくなっていた。気丈な母も足腰が弱り、車椅子に座った笑顔だけの存在になっていた。気付いたら、二人ともその抜け殻を遺したまま、既にこの世を去っていたのだ。K氏はそんな思いに駆られて、淋しさに胸が詰った。親類縁者の病気や不幸の知らせがしばしば届いていた。うず潮のように何かが大きく変わり始めていた。K氏は、為す術もなくその渦中に飲み込まれて行く自分を無力とも、不幸とも感じていたのだ。
「あなたは、今まで一所懸命に走り続けて来たのよ。この辺で一休みして、趣味を楽しんで、少しはお洒落もして下さい」。
最近、K氏は妻によくそう言われる。身だしなみに無頓着だったK氏は、きっと自分は何か匂いがしているのだと思うようになった。
そんなある日、K氏は帰宅途中のコンビニへ寄った。陳列棚に「幸せのオーデコロン」という小瓶が並んでいた。「爺臭い方のために」、「貧乏臭い方のために」、「心気臭い方のために」などに色分けされている。どれも怪し気だと思いつつも、彼は、適当な小瓶を1本手にして急いでレジを通った。外へ出るなり、早速一滴振り掛けて見た。心地よい匂いがして淋しさが薄らいで行くようだ。家の者たちはこの匂いに気付くだろうかと、気恥ずかしく思いながら家に着いた。迎えに出た妻の唇に、赤味が差していた。娘ふたりもかつてのように初々しかった。両親の顔色に生気が差している。妻との事にも元気が戻ったのである。これを振り掛けると、盛時に戻れるのだ。「幸せのオーデコロン!」
K氏は毎朝出勤前に一滴振り掛けるようになった。ある時はうっかり大量に掛け過ぎてしまったことがある。あまりの強い刺激に鼻の奥がつんとして眼の前が暗くなった。眼を凝らすと、たそがれ時の校庭に立つミヨちゃんの姿が見えたような気がして、胸の奥がキュンとした。ある時はこんな情景がよみがえった。実直な父が珍しくほろ酔い気分で帰宅し、ひとり上機嫌でゴンドラの唄を口ずさんでいた。「命短し恋せよ乙女、紅き唇の色褪せぬ間に」。それは孫娘たちに許される精一杯の幸せを願っている唄として聞こえて来るのであった。若い娘たちの純真無垢な笑顔を前にして、父の辛酸にも自分の労苦にも、勝ち目はないのだ。
K氏を含めて、あらゆるものが留まることなく移り行き、情け容赦無く時が流れて行った。知らず知らずに、彼のオーデコロンの匂いも次第に強くなって行った。父と母を送り出して後は、最早、彼は誰が見ても老人に他ならなかった。せっかちで、「時間がない」が口癖となり、先を急いで趣味やお洒落どころの話ではなかった。
やがてK氏は忽然と気付いた。人は、老いが不幸なのではなく、諸行無常から逃れられないことが不幸なのだ。もし、そこから逃れられたら、幸せなのだ。そのための手段が、たとえオーデコロンという偽りの手段であっても。
やがて、K氏は臨終の床に就くと、残ったオーデコロンを全て振り掛けて貰い、自分の生涯の最良の一瞬にまで遡った。彼が、「止まれ、私は幸せだ」と言い遺した時、彼の時間が止ったのだった。
「はちのへ医師会のうごき」 平成17年 8月20日 434号に掲載