籠の鳥
K老人は夢を見た。彼は、その夢の中で鳥を籠に閉じ込め、そのまま夢から覚めてしまったのだ。もし、もう一度その夢を見て、鳥を籠から放してやらなければ、あの鳥はあの夢の中で永遠に閉じ込められたままになってしまう。そう思うと胸が苦しくなった。十夜が過ぎてもそれは叶わず、せめてあの夢の意味を知りたいと思うようになった。
K老人は、思いを巡らすうちに、ある記憶に辿り着いた。彼は、かつて腕白小僧だった頃に、祖父に大層可愛がられた。彼が小学3年の梅雨の頃、その祖父が脳卒中に倒れた。祖父は、大きな味噌樽の中に仏像のように座ってうつむいていた。味噌樽は、霧雨の中、葬列とともに墓地に着くと、泥土に掘られた大穴の底へ深々と降ろされた。読経の流れるなか、大穴は再び多量の泥土で埋め戻され、その上に墓石が組まれた。腕白小僧はその始終を目の当たりにした。祖父が大変な目に遭っている。
「どうしてみんな黙っているの?止めて!」
と彼は心の中で叫んだ。
その夜の葬儀には、百万遍の大数珠が回され、酒が酌み交わされ、親類縁者の名残り話が続いた。その間、K少年は玩具のスコップを持って祖父を助けに行こうと密かに考えた。しかし、出来ることではなかった。祖父は泥土の下にあって、再び地上に出ることはなかった。
その日からK少年は心的外傷を負っていた。
「自分も、死んだら泥土に埋められる」。
そう思うと、怖くて居ても立ってもいられず、胸が苦しくなって、わっと叫びそうになった。それでも月日が流れたら、そんな辛い日々の記憶は忘れ去ってしまうはずであった。
K老人はあの夢の意味に気付いた。籠の鳥は、泥土の中の祖父であった。過去に戻って祖父を掘り出してあげなければ、祖父は永遠に泥土の中だった。それが出来ぬまま、数十年が経過していた。忘れたはずの、「死んだら泥土に埋められる」という恐怖は、何も解決されることなく、彼の足下に底知れぬ大穴を開けていた。「次はお前の番だ」。それがあの夢の意味であった。
再び、彼は限りない恐怖に襲われ始めた。
その後、K老人は認知症を得た。短期の記憶を失い、次いで長期の記憶を失って行った。それに従い、彼の顔はその表情を失って行った。あたかも能面に近づくかのように、恐怖の表情もまた失って行ったのである。それは彼にとって救いであったに違いない。(平成20年3月24日)
青森県医師会報 540号に掲載
雨の中の土葬
死んだら埋められる