パソコン量販店に勤務するK君のもとに宅配便が届いた。中には電話帳のような厚い本が入っていて、挨拶状が添えられていた。それは英語や仏語や中国語などで書かれており、日本語の挨拶状は以下のようなものであった。
敬愛するK様へ
この度は、当社の最も誇りとする自信作｢ブレイン２１｣（商標登録済）をお選び下さいまして、誠に有り難うございます。当社が満を持して世に送り出した｢ブレイン２１｣は、当社が積年のノウハウを全て注ぎ込んだ最高傑作でございますので、必ずやご満足戴けるものと確信して止みません。
貴方様の出生時のユーザー登録をもとに、さっそくユーザーマニュアル（使用説明書）をお届けさせて戴きました。もし、貴方様が本書を熟読されて、｢ブレイン２１｣のご使用に精通なされば、これによって音楽や動画を存分にお楽しみになり、文書作成も表計算もお手の物、深遠にして豊饒なる思索の時を過ごされたり、政治・経済・文化などあらゆる分野で活躍されるなど、必ずや実り豊かな人生をお過ごしなさること請合いです。貴方様のサクセスフルな人生に乾杯！ 西暦２０ｘｘ年
ユニバーサル・ブレイン社 最高経営責任者 Mr. △△
K君は、この突拍子もない挨拶状を読んでもよく理解できなかったので、続けてその「使用説明書」を開いてみた。表紙には、｢ブレイン２１｣ご使用説明書、と大きな文字が書かれていて、次のページが目次になっていた。とても厚い本なので、K君はパラパラとめくりながら、拾い読みを始めた。この「使用説明書」には以下のようなことが書かれていた。
第１章（基本ソフト）
基本的なオペレーティングシステムとしては、欧米向け出荷のものでは、ギリシア哲学とキリスト教を合わせて整合性を持たせたスコラ版がインストールされています。日本国向け出荷のものでは、古来の民俗学に仏教儒教を整合させたブッタ・コウシ・ヤナギダ版が採用されインストールされています。これにより精神生活上のスムースな操作性が確保されている訳です。その上に乗せる社会生活用ソフトとしては、民主主義、個人主義、資本主義、社会主義などのソフトが、住む地域や立場に合わせて選ばれ、インストールされています。おまけに、日本国向けのものには｢仲良し仲間｣ソフトが追加されております（もし、貴方様と周囲の方々との間で話が一致しなければ、このソフトが正しく作動していないか壊れている可能性があります）。このように、私どもの｢ブレイン２１｣には様々なソフトが組み込まれているため、全世界の需要にお応え出来るのであります。・・・・
第２章（メモリ容量とモード設定）
このクラス最大級のメモリ容量を誇る貴方様の｢ブレイン２１｣は、当社工場を出荷される時のご使用国モードが｢日本国モード」となっておりますので、この設定を変更されずにご使用下さい。当然、出荷時には、学習機能付き日本語ソフト第１９版（若者の「ら抜き言葉」対応）がインストールされております。もし重ねて、英語ソフトをインストールされた場合、両者間の整合性に問題があり、「どうしても英会話が身に付かない」という結果になりがちであることを、予めご承知おき下さい。また、中国語ソフトを重ねてインストールされた場合､例えば、日本語ソフトにおいて｢手紙」の文字は、中国語ソフトにおいては「トイレットペーパー」の意味であるなど、互換性に問題があることにご注意下さい。貴方様の場合、日本国内での使用が想定されておりますので、本体内部の時計が「＋９時間」に設定されております。もし海外旅行・移住などされる場合は設定の変更を忘れないで下さい。・・・・
第３章（使用開始時の手続とシステムの起動）
貴方様が「おぎゃー」と発声されましたら、直ちに「契約に同意する」をクリックしてからご利用を開始して下さい。工場出荷時の初期ソフトがネット接続によってすくすく成長するように、「自動更新する」の設定を忘れずにクリックしておくことを強く推奨します。オヤスミなさる場合、その日の出来事は自動的にファイルに保存されますので、記憶が失われる心配はございません。システムのシャットダウンまで、くつろいでお待ち下さい。翌朝、システムの休養が済めば自動的に再起動します。・・・・
第４章（補則）
装置の長期使用による摩耗のため、古いメモリが消えず、新しいメモリが入力できない事態に立ち至ることが予想されますが、現段階での技術力には限界のあることを予めご承知おき下さい。
アルコール依存者に見られるビタミンB不足など、貴方様の不摂生によって｢ブレイン２１｣の機能の低下あるいは障害を招いても当社は一切の責任を負いかねます。
ある種のパスワード（甘い言葉や殺し文句）により容易にセキュリティがオフにされ、｢ブレイン２１｣が無防備の状態にさらされることがあります。これによりウィルス感染や致命的なトラブルを招いても、当社には一切の責任が無いものとします。・・・・
｢ブレイン２１｣使用説明書を拾い読みしていたK君は、説明書から顔を上げ、思わず呟いた｡「これって、オレのアタマのことを説明しているの？オレって、パソコンだったの！」K君はそばにあった手鏡を持ち上げると、自分の顔を映して見た。鏡の中の自分がまるで機械仕掛けのカラクリ人形のように見えたのも無理からぬ事であった。
その頃からK君に奇妙な出来事が始まった。パソコン売り場のお客さんが彼のことをまるでパソコンのように扱うのだ。彼の前に立ち止まると、彼の鼻をスイッチのようにプッシュオンして、眼をのぞき込んで何か情報を読み取っているようなのだ。同時にK君の口からは製品情報が独りでに口を突いて出て行くのであった。
ある日などは、同僚のL君が、売り場の節電を心がけて、余分なパソコンのスイッチを切って回っていた。彼はK君の前を通り過ぎる時、全く事務的に彼の鼻を押してスイッチを切った。「あ！やめて！」と制止するいとまもなく気が遠くなり、気を失った｡K君にはそれ以降の記憶が全くない。夕刻、売り場の脇の職員休憩室で再起動したK君は、いつも通りの帰途に就いたのだった。
そんなK君が得た結論は、自分が死ぬときも、こんなふうに、スイッチが切られて､ 自分は気を失って、今度は再起動することなく、ずっとそのままなんだろうなぁ、ということであった。
青森県医師会報 平成１９年 ７月 ５２０号 掲載
青森県医師会報 平成１９年 ７月 ５２０号 掲載
