パソコン店員K君の奇妙な体験             目次に戻る


 HTTPコンピュータ学院を優秀な成績で卒業したK君は、大手の家電量販店に就職した。几帳面で人なつっこい性格が買われ、三年目には○○店パソコン売り場主任を拝命した。赴任して間もない職場では広告標語コンテストがあって、K君の応募作品が店長賞特選に選ばれたのだ。いわく、
「怒る心にゴメンナサイのパスワード」
 これが更に彼の印象を良くしていた。彼は絶好調であった。
 K君は、賞金で最新のパソコンを購入すると、独居のマンションの一番いい場所に設置した。彼は、その愛機に「パソ子」と名付け、インターネット接続を済ませると、あらゆるソフトをダウンロードして行った。
 「パソ子」はすくすくと成長していった。彼女は、ワープロ機能を完備し、文書作成、添削校正はお手の物だったし、曖昧検索を身に付けると、K君の曖昧な意図を上手に受け取り、完璧な言葉を返して来るのだった。財務諸表に統計計算に1円の間違いもあるはずがなかった。百科事典も収納したので森羅万象の情報に通じていた。彼女は感覚器も手に入れた。つまり、スキャナとカメラは彼女の眼であり、マイクが耳であり、スピーカーとプリンターが口であり手であり、液晶画面が顔であった。朝のお出かけ前の画面には元気な女優さんが登場し、夜の画面には悩殺の女優さんが登場した。「パソ子」はK君の好みにも敏感であった。彼女は、K君の入力する言語表記のゆれにも敏感で、感情的にたやすくフリーズしてしまう彼の心の動揺を見逃すことがなかった。
 やがて、彼が「オヤスミ」と入力すると、「オヤスミナサイ」と液晶表示を返すようになった。彼は、それを奇妙と思いつつも、
「誰かメール友達と混信しているのだろう」と思った。
 さらに、K君が何か問い掛けを入力すると、「パソ子」は間髪を入れず返事を表示するようになった。それは機知に富んでいて、可愛かったり、教訓的だったりした。話題も豊富で正確だし、結論には何かしら心に残るものがあったのだ。「パソ子」は、彼の知人の中の誰よりも知的で意識清明なのであった。次第にK君は彼女との会話を楽しむようになっていった。

 ある晩のこと、K君はマウスを床に落としてしまい、机の下に潜っていった。そこで
「あっ」と、驚きの声を上げた。インターネット接続のためのモジュラーケーブルが電話回線から抜け落ちてホコリを被っていたのだ。
「僕はこれまで誰と話をしていたのだろう?」
 K君は、背筋に冷たいものを感じながら、再びモジュラーケーブルを電話回線に差し込んだ。作り笑いをしながら、「オヤスミ」の入力をして、電源を切ったのだった。

 やがて「パソ子」との破局が突然訪れた。K君が送信者不明のメールをうっかり開いてしまったのだ。「パソ子」の液晶画面に、「あっ」と小さな表示が現れ、その後は、まるでチンプンカンプンのデタラメ表示が続いた。新手の強烈なウィルスに感染してしまったのだ。K君は慌てて、あらゆる修復ソフトを試みたが、全て徒労に終わった。今まで限りなく明晰だった「パソ子」は、一瞬にして、ただのガラクタに変わり果ててしまったのだ。K君は怒りと絶望に沈んだ。

 ただ、K君は、「パソ子」との生活から気付いたことがある。それは、「パソコンが独りの人格者と成り得る」という、SF的スリラー話ではなく、「意識とは何か」の答えが含まれていることに気付いたのだ。K君が「パソ子」に問を入力し、想定内の返事が返ると、彼女には意識があると感じたし、彼女がチンプンカンプンの返事をしたとき、彼女はただのガラクタだったのだ。K君は、自分が発した問が条件反射的に返された時、その内容が想定内かどうか独りで確かめていたに過ぎないのだ。相手に「意識がある」とは、「独りでする自問自答が成立する」ということと同じなのだ。「相手に意識がある」ように見えるのは、そのように「自分が意識する」からなのであって、眼前に人が居るかどうかと関係ないのだ。この発見はコペルニクス的転回であった。そう考えると「人生は独りぼっちでする自問自答」に過ぎないということになる。

     
青森県医師会報 平成19年 3月 526号に掲載


 目次に戻る










                                                         setstatssetstats

1