人生は映画フィルム


 医学生の頃から度々引っ越しをして、いろいろな土地に住んで参りました。引っ越しをする度に家内に苦労させたため、次第に頭が上がらなくなって行きました。それぞれの土地での家族のスナップ写真が数冊本棚に並ぶこととなり、それぞれに思い出があります。巻を追う毎に子供たちは成長し、父親の頭髪は薄くなっていきました。これらの多数のスナップ写真を一列に並べてつないで行くと、一巻の映画フィルムが出来上がってしまいます。
 このフィルムの中から子供たちのシーンを一部拾い出してみました。金木町に住んで居りました時に、長女の幼稚園の運動会を見に行き、幼い子供たちが元気に「運動会の歌」を歌っているのを目の当りにしましたら、急に胸が詰まって涙が出てしまったことがあります。私だけ妙に涙もろくなったのかと思い、始めは黙っていましたが、ある折りに家内に話してみますと、実は自分もそうだったと言います。家内は、長女が入園して初めて幼稚園のスク−ルバスに乗って行ってしまった時、その後ろを見送りながら目に涙を溜めてしまったと言います。
 最近になっても同様のことがありました。田子町に移り住んで小学校二年生の長女の学芸会を見に行き、その舞台を目の当たりにしたら、急に涙が出てしまいました。でも子供たちの舞台を見て感涙しているのは私一人ではなく、例えば、子供のいる看護婦さんたちの雑談からも同様の話が聞こえておりました。さらに、彼女らの話によれば、孫たちの姿を見た祖父さん祖母さんたちもニコニコ顔の目尻に涙をにじませていたと言います。子供の成長を目の当たりにすると、親は胸がいっぱいになるもののようです。
 ましてや、まさにこの世を去らんとする親にとっては、その胸も潰れんばかりかと思われます。家族旅行で長崎を訪れた時、バスガイドさんの話から、「この子を残して」という有名な本のあることを知り、早速本屋で立ち読みしてみました。被爆した医学者がその後遺症のために、身寄りのない子らを残してこの世を去るまでのことが書かれておりますが、初めの数頁を読んだらもう胸が詰まってしまい、本を閉じてしまいました。こんな悲劇は許されるものではありません。それなら、私の「御臨終」のときには、どんなシーンがフラッシュ・バックされるのだろうかとまで考えさせられてしまいました。
 人生は一巻の映画フィルムに喩えられるかと思います。無数のシーンが一列に並んでいるそのフィルムを、私は半分まで見てしまったのかなと思います。残り半分がハッピ−・エンドでありますようにと、願うばかりです。 

     
青森県医師会報 平成6年1月 379号 掲載


 目次に戻る









                            目次に戻る

1