階上町の小松内科医院の小松でございます。先生方には、いつも患者さんのお願いを申し上げ、大変お世話になっております。この場をお借りしてお礼を申し上げます。また本日はこのような発言の機会をお与え下さいました、八戸市民病院外科の岡本先生はじめ担当の先生方にお礼を申し上げます。私、そもそも壇上でお話出来るほどの者ではございませんが、開業医の陥りがちな短所、例えば、新しい勉強から遅れやすいなど、そういう短所をたくさん持ち合わせている代表選手として、ここに引っ張り出されました次第で、まな板の上のタコの心境でございます。研修医の先生方には、「こんな開業医もおりますのでご注意を」という反面教師としてお役に立てればと、そんな気持ちで演壇に上がりました、宜しくお願いします。
 
 さて本題に入りますが、私がここで申し上げたい事は、私が現在に至るまでの経過と深く関わっておりますので、僭越ながら私の経歴を申し上げることからスタートし、小松内科医院の現状をお聞きいただければ、それが結論になる、という形が一番の近道かと思います。開業医の一つのパターンとして、具体例として、お聞き頂ければと思います。
 私は、八戸市に隣接する階上町に生まれ育ちました。小松家の中には医療関係者は一人も居りません。その頃はまだ階上村でして、無医村でした。もう古い言葉なんでしょうか。八戸市に出るのに、デコボコの砂利道をオンボロの南部バスに揺られて一時間かかりました。目薬一本もらうのに一日がかりです。「医者にかかるのはご臨終の時だけ」が当たり前でした。「誰か医者になって、村に帰って来る者はおらんのか!」そんな中で育ちましたので、私の志もこの辺から始まっております。つまり、「私が子供の頃、私の周囲にいて私を育ててくれた、その人たちのために役に立ちたい」という思いで医師を志したのでした。秋田大学を卒業して国試終了後すぐに、弘前大学循環器内科へ入れてもらい、津軽地方の医局関連の病院を廻り、研修いたしました。2年目にはトランク医師として八戸市民病院循環器内科へもお世話になりました。かつて殆どの先生方は、大学医局に籍を置き、身の回りの荷物をトランク一つに纏めて、旅回りするみたいに病院を廻りますので、「トランク医者」と呼ばれていたのです。
 
 さて私の場合、12年間の医局生活(つまり勤務医としての生活)が一段落したところで、階上に帰ろうと思い、教授に恐る恐る開業の希望を申し出ました。かつては医局制度が中心にありましたから、医療の中心は勤務医であり、その勤務医のピラミッドの頂点が医学部教授でしたから、教授は人事をはじめとしてオールマイティなわけです。もし教授のご機嫌を損ねたら、
 「ああ君は下北半島の北限のサルでも診察して居ればよろしい」
と一言われて、家族をかかえてそうするしかないという時代でした。そんな怖い存在だったんです。恐る恐る「開業したいと思いますが」と申し出れば、多くの場合、
 「ああ、君も学問の道を捨てて、金儲けの道に走るのか、分かった、もう宜しい」
という雰囲気になりがちなのです。私が医師を志したのがそもそも、
 「生まれ育った階上町でお世話になった方々のお役に立ちたい」というのが目的でしたから、「学問をすてて金儲けに走るのか」と思われても心外なのです。階上町には病院がないんです。地域医療のためには、自分で診療所を立ち上げるしかなかったのです。
【ここで一つ結論です】勤務医であるか開業医であるか、それは目的によって決まる結果だ」ということです。研修医の皆さんが医師を志したとき、何を思ったか、です。勤務医か開業医か、それは、自分の志を実現するための手段であり、結果として決まることだ、ということなんです。
 ともあれ、私は、「教授のお許しをいただいて、教授のご高配のもとに」、生まれ故郷・階上の地で、内科医院を開業することとなりました。
【ここで二つめの結論です】「開業医もかつては勤務医だった」ということです。そういう流れの中で「今」を捉えるべきだと思います。それをしないで、八戸市医師会の歴史を輪切りにした断面だけを見て、勤務医・開業医を色分けしながら、その長所・短所を比較した議論をしても、有害無益と思います。「研修医が勤務医となり、そこから開業医も出て来る」そういう流れとして捉えるべきだと思います。私も、かつて市民病院に勤務していたことがございますので、私は、謂わば「八戸市民病院・階上出張所」勤務という気持ちで仕事をして居ります。
 
 さて、かくて開業へと走り出したわけですが、私の場合、青森銀行からの資金調達と、階上町役場向かいの土地を確保することから始まり、千秋薬品開業支援グループに依頼して、診療圏調査、経営シミュレーション、建物設計施工、機器と業者の選定、スタッフ募集と研修、診療所開設の届け出手続き、県庁ご挨拶、医師会ご挨拶、開業披露宴と進み、平成7年10月、「小松内科医院」が晴れてオープンとなりました。それでも患者さんが来るのが遅くて、来るのは高額の請求書ばかりですから、当初の運転資金が底を尽きそうになりました。「医者は地元でするな」という教えが正しかったのかと、一時は心配したものです。開業満14年を経過した今その心配は遠退いております。
 小松内科医院の仕事の内容ですが、内科の一般診療から、可能な範囲で他科の診療まで行い、赤ちゃん・小児の予防接種から、保育園嘱託医、学校医、産業医、老健施設協力、介護保険、往診、在宅看取り、各種検診、生命保険審査、町役場の委員会など、多忙です。もちろん、職員の接遇教育、経営努力(税理士に月々の巡回を依頼)、労務管理(社会保険労務士による職員給与の計算、健康保険証の発行、就業規則作り、中退金による退職金の準備など)まで、小さい医院でも一通りの企業管理の仕事が待っています。
 ここで開業医の短所を挙げてみます。
【短所の1】全て自分一人で診療し、結果の責任を全て一人で負うということです。経営に関しても同様です。相談する相手が居ません。
【短所の2】自分の代わりが居ないことです。自分が病気をしたら、立ち所に診療が止まり、職員の生活から、門前薬局の経営にまで影響します。患者さんより具合が悪くても休めません。自分の健康診断で異常が出ても自分自身の検査や治療が困難です。
【短所の3】新しい医学的知識や経験が得難いことです。
【短所の4】纏まった休みが取れないことです。3ヶ月前から休診予定の張り紙を出しても、当日患者さんが来ます。後で「この前折角来たのに空振りした」と言われます。
【短所の5】後継者が居ないということです。自分で後継者を探すか育てるかしないと自分一代で終わりで、折角の医院も患者さんも放り出さねばならないのです。私の場合は、階上町の地域医療のために、後継医師を確保することは私の義務だと感じております。
 時間がありません。次に開業医の長所を列挙いたしますと、
【長所の1】自分の希望する医療ができること。
【長所の2】努力次第で収入アップが可能なこと。
【長所の3】「当直なし」にできること。
【長所の4】地域に直結していて、家族ごと診察できること。
【長所の5】ひとりの患者さんと長く付き合えること。
【長所の6】時間が自由になる。
【長所の7】定年がない、などです。

 以上、取り留めがなくなって参りましたので、結論を繰り返して終わりに致します。
【結論の1】勤務医であるか開業医であるか、それは医師を志した時の目的によって決まる結果だ、ということ。
【結論の2】開業医もかつては勤務医だった」ということ。
【結論の3】勤務医・開業医それぞれに長所・短所があり、それぞれの立場に適材適所の先生方がおられることで病診連携が可能である、ということでしょう。 
 ここで最後に提案があります。「研修医、勤務医、開業医の先生方が家族を連れて参加しザックバランに交流できるような会」があれば、愉しく有意義で役に立つものと思います。この交流会に参加すれば、「生涯教育認定講座5単位」を貰えるというのは如何でしょうか?
 最後になりますが、病診連携を例えて言えば、フットボールの試合に似ているかと思います。医療チームが一丸となって走り、襲ってくる病気をかいくぐりながら、患者さんというボールをあっちへこっちへパスして渡しながら、ゴールへ届けてタッチダウンすること(天寿を全うしてもらうこと)、そんなチームプレイに似ているかと思います。
 ご静聴下さいまして、有り難うございました。



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        勤務医と開業医の話し合いの会

   八戸市医師会の行事として「勤務医と開業医の話し合いの会」が定期的に
   行われています。今回は、国家試験に合格して研修医となられた先生方と開業医が
   話し合いをするという形式で行われました。この会に、シンポジストの一人として
   参加させていただきましたので、この時の口演内容を掲載します。

  
               (平成21年11月6日 八戸グランドホテル)

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