因果はめぐる             目次に戻る

 昭和39年、日本中が東京オリンピックに沸いた頃、私の生家の酒屋にもテレビがやって来ました。階上村で、テレビ購入の第一号だったので、丸太棒にアンテナを括り付けて屋根に担ぎ上げた時には、何事かと見物人が出た程でした。小学生だった私は、テレビを運んで来た電気屋さんをどれ程か尊敬したことでしょう。毎夕、兄や近所の友達と一緒にテレビの前に正座して、白黒のテスト放送を固唾を飲んで見つめたものでした。
 そうしたある日、店先きの飼い犬が吠えて、店頭に行商人が立っておりました。この器具は、遠く〇〇県からはるばる背負って来たものであり、科学的に考案された画期的新発明の器具であるから、是非試して買って欲しいとの旨、大人達に懇願しているのでした。その器具とは、テレビの画面の前に被せるだけで、白黒テレビがカラーテレビに早変わりするものだと言い、それはただの四角いガラス板だけで出来ていて、上三分の一が空色で中三分の一が緑や赤、下三分の一が茶色に染色されていました。言われるままに、丁度テレビ画面に映った十和田湖の風景にその画期的器具を重ね合わせた時、一同はアッと驚いたのでした。十和田湖の風景が紅葉して、確かにカラーテレビでした。当時、カラーテレビは、話には聞くもののトラック一台分の値段でしたから、これには驚かされた訳です。行商人は科学技術の普及に貢献して帰り、私達は当時得難いカラー画像を楽しめることになったのです。風景の時は良いのですが、登場人物の顔がアップになると、額が青く、片目が赤く、まるでお岩さんのようで恐くなるのですが、それでも確かにこれはカラーテレビなのだと、自分を納得させながら視ていました。半年過ぎて、この画期的器具に誰かの野球ボールが当たり、割れた向こうに白黒画像が見えた時、あれ?と思ったのは私だけではありませんでした。
 続けて同じ様な出来事がありました。当時テレビ画面からは、人体に有害な光線が発っせられているとして問題になったことがありましたが、丁度その頃、あるセールスマンが訪れ、画期的な新発明のこの器具により問題は解決されたと言います。その器具というのは御婦人方の髪に被るショ−ルのようなものを四角い枠に張ったもので、これを画面の前に被せて使うのだそうで、科学的に説明すれば、画面から出た有害光線が細かい網目を通過することで、細かい光の粒々になるので、目に優しいのだと説明して呉れたのです。成る程、画面に被せてみると、眩しい画面がショ−ルの向こうに霞んで目が楽なのでした。一同は有害光線の心配をしなくて済むようになり、安心して画面を楽しんだのでした。この器具にも月日の流れとともに、砂塵と湿気が次第に奇妙な縞模様を作り、画面が見難くなって来ました。テレビの前に何故こんな汚いものを垂れ下げておく必要があるんだろうと誰もが思うようになり、ある日私が、うっかりその器具にチャンバラの刀を引っかけて破いてしまっても、誰も叱りませんでした。
 それから40年あまりが経ち、開業医をしている私の外来にも製薬会社や薬卸商の方々が面会に訪れ、画期的な新薬について医学的な説明をして呉れます。それを鵜呑みにして、今度は同じ説明を、私が患者さんに繰り返すことになります。その説明をしている私の姿は、遡ってみれば、遠く白黒テレビ普及の頃のセールスマンの姿に良く似ているのかも知れません。因果はめぐるの観が拭えないのです。

     「はちのへ医師会のうごき」平成9年1月 331号 掲載


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