ご遺体の傍らで
                      秋田大学 医学部 進学課程1年
                      学績番号  **−***
                      実習生氏名 小松 修
 「黙とう!」
 解剖学教授の厳かな声が響きました。白布に包まれたご遺体の傍らで、私は平静では居られませんでした。”あなた”は、私の眼前に横たわり、石炭酸の臭気を放ち、手に重く冷たく、ただそこに在るのでした。そこには私の知っている稚拙な思想や宗教は、何ら這い入る余地はありませんでした。解剖実習は、医師になるための一課程として当然だという気持ちは立ち所に消え、私は何もかも剥ぎ取られた、ただ一個の無能の男として、立ち尽くして居りました。この私が、初めてお目に掛かる方のそのお体を切り開くなど、とても許されることではないと思えたのです。”あなた”の静謐な眠りに畏怖の念を抱いたのです。死は不浄としながらも、生きた人間が解剖実習という恣意的な行いをすることもまた更に不浄のように思えたのです。その思いを辛うじて抑えたのは、「こうして私もやがて人の苦しみを和らげられる様になるのだろうか」という、頼りない期待でした。
 「”あなた”はどこへ行かれたのか?」解剖を通じて常に心に懸かる問題でした。”あなた”は、確かに”あなた”の人生を生きて、どこかへ行かれた。”あなた”は沢山のものを受け取りながら育ち、それらを慈愛をもって次の人々に渡したのでした。そしてこのお体もまた無数のものを受け取り、それを子供たちの体に伝えたのでした。そんなお体を切り開くことは、生前の思い出の中へ、血の繋がりの中へ、子孫の聖なる場所へ、まるで泥足で踏み込むことでした。しかも私の手が、決して元には戻らぬような仕方で、お体を変容させて行ったのです。お体を切り開きながら、その造化の巧みに、はっと息を飲むことがありました。これを壊してはいけない、勿体無いと思うことがありました。石炭酸でお顔を洗うたびに、お顔に表情が戻ります。目頭に涙を溜め、顔中から汗を流しているように見えて、まるで、”あなた”がまだここに居るような気がするのでした。言うまでもなく、”あなた”は既にこのお体に宿っては居ないし、そのことを私は知っているのです。それは解剖が進むにつれて次第に明白になって行きました。ご遺体の何処にも”あなた”は居なかった。”あなた”はどこへ行かれたのか?
 私は、幼少の頃、祖父の土葬を目の当たりにしました。樽の棺の中に、白装束で仏様のように座り、うつ向いて眠ったまま、土中に降ろされ埋葬されたのです。幼い私は考えました。きっとこの大穴は、地中深く降りて行ってから、いつの間にか砂漠の丘の洞穴につらなって開いているのだと。祖父は、誰も知らない向こうのその土地で、これから暮らすのだと。”あなた”も向こうの土地でお暮らしなのでしょうか。
 また、幼い頃から何時ともなく教わったように、肉体は物質的な宿であって、そこに魂が宿ったり去ったりするのだとも考えて参りました。いま解剖実習を終えて、もはや形を保たぬお体を前にして、「”あなた”はいま、どのようなお姿で、どこに居られるのだろう」と思うのです。
 そんなに遠くない将来、私がそちらへ往ったとき、恥ずかしい思いをせずにお会いできますよう、これからの半生を生きねばなりません。”あなた”のお体で貴重な経験をさせていただき、有り難うございました。ご冥福をお祈りいたします。
                           平成56年7月4日
 齋藤とわ様(仮名)
(後日の合同慰霊祭で本当のお名前を知ることが出来ました)





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       医学進学課程に入るとすぐに解剖実習が始まり、ほぼ3ヶ月をかけて系統解剖を学びました。
     随時レポートを提出しながら、最後に口頭試問を通過しなければなりません。
      また、「実習を終えて」に相当する題名で「小論文」の提出も課されていました。
     以下の小文はこの時に提出したものです。

 

     

    

     

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