平成3年10月より、医局のメンバーは南、奥口、人見、柳町、堀越先生。私は引き続き1病棟勤務となり、三国谷婦長、工藤主任、看護婦の高橋(実)、今井、原子、尾崎さんらとご一緒でした。言語治療部門の統括責任者として、毎日朝礼をしました。鳴海薬局長の尽力あって病院旅行は沖縄へ飛びました。外来は佐藤(靜)婦長、蒔苗、大高さんらあり、賑やかでした。忘年会には大勢の来賓の方々に失礼のないように努めました。営林署の巡回に隣へ出かけることもありました。就業規則が各病棟に掲示されました。私にとって黎明郷の印象を構成する方々の退職が相次ぎました。ドクターをも教え諭す中畑総婦長の姿に助けられました。
平成4年4月より、医局のメンバーは和田、斉藤(大)、村上、田村先生。私は引き続き1病棟勤務となり、MSW原さんが忙しそうでした。私は胆石・急性化膿性胆嚢炎のため、弘前中央病院へ入院し(6月15日)胆摘術を受け、この間大変ご迷惑をお掛けしましたが、多くの方々から暖かいお見舞いを戴きました。有難うございました。
平成4年10月より、医局のメンバーは西村、宮原、畑山、中野先生。私は2病棟勤務となり、山田婦長、工藤主任、看護婦の三橋、西沢さんらとご一緒でした。呉先生が来院され、家兎を用いた実験に積極的に取り組んでおられました。張先生の離弘するを送りました。平成5年3月31日西村先生に「医長」の引継をして黎明郷を去りました。
平成5年4月より八戸市民病院第三内科勤務、平成5年7月より町立田子病院勤務を経て、生地である三戸郡階上町にて小松内科医院を開業し今日に至っております。もっとたくさんのスナップ写真を並べて、多くの方々に登場していただきたかったのですが、下手な写真では申し訳なく、これぐらいでアルバムを閉じることといたします。黎明郷は私にとって大きな「学舎」でありました。大池理事長先生、目時院長先生はじめ、多くの方々にお世話になりました。本紙面をお借りして厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。(平成8年2月23日)
